michynoteの日記

ファイナンシャル・セラピスト。 大手証券会社で約20年間営業を経験、 別の証券会社にて調査部経験もあり。 CFP®︎認定者。 傾聴とトランスパーソナル心理学のメソッドを用いて、あなたのモヤモヤをクリアにします。

スピンオフ/心の深堀の中で出て来たモノたち〜’18-’19LPLマスターコース回顧録(その3)

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2019年2月。
会社の最後の引き継ぎと次女の入院・手術でタイトな日々の連続だったが、その中で受けたLPLのASV(アケミスーパーバイザー)セッションは、クライアントととしていろいろな気付きを与えてくれた。ちなみに主訴は「『人生に半分しかコミットしていない』と言われたが、それはどういうことか。自分は何をどうしたらいいのか」ということだった。


最大のものは、
「身体にしかわからない心の傷が存在する。それには言語によるメソッドは通用しない」ということだったが、そのほかにも幾つか見逃せない副産物があった。いや、もしかしたらこちらが主流なのかも知れない。ただ構造としてどうなのかはわからないので、並列しておくしかないのだが。


♦︎「出力150%」の功罪
前回の記事にも書いたが、コミットできてる部分の出力を上げれば、できてない部分(半分と言われたが自分の感覚では3分の1)をカバーして行けると考えた。ない所を探すよりその方が手っ取り早いとばかり、探究はそれとして一旦横に置き、今の自分をフルパワーで出す、というのをASVの講座中に試みた。すると、ちょっと困ったことが起きてきた。
きっかけは他の受講生がクライアントになった時、セッションの中でその方の親族(男性)の代役を務めたときのことだった。そもそもその前にも別の人に対して強い口調で指摘をするなど、周りからは「いつものみっちゃんじゃないみたいだった」と言われるくらい、強いエネルギーが出ていたようなのだが…。
セッションの流れでいうと、思い切り相手を罵倒して、クライアントの感情を動かす必要があったので、これ幸いとばかり男性の口調で、大声で怒鳴りまくった。


するとどうだろう。その日の帰りから翌日にかけて、なぜか高揚感と爽快感に包まれた。怒りを解放しろということか?
ただ怒りは「二次感情」で、その下には悲しさや寂しさなど別の感情があるというが…。妙な爽快感の向こうには何も見つけられなかった。
ただ、周囲の人間は引くか気おされて具合が悪くなるかという感じなので、この状態を手放しで喜ぶわけにはいかない。もっと適正なパワーの出し方はないものか。いったんこの「無敵モード」に入ると、自分でも制御が難しくなる。


♦︎つながりたい至上主義
単なる偶然かも知れないが、今回参加したセッションの主訴がほとんど「(他者と)つながりたい」というものだった。
確かに他者との繋がりは大事だが、自分とはかなり温度差があるように感じた。自分は「来るもの拒まず、去る者追わず」なので、そこまで積極的には求めない。気の合う人と共に、旨い酒と肴で語らいができればそれで充分だと思うのだが、どうだろう?
まあ、自分のコミニュケーションの仕方についてはこれからの仕事との兼ね合いもあるので、見ていく必要はあるとは思っているけれど。


♦︎支配的な母
「人生に半分しかコミットしていない」と言われて、なぜそう思われるのか原因を特定していく中で、関係している可能性とあるものとして、子供の時の母との関係が浮上した。
「あなたは私のいう通りにすれば間違いはないのよ」「(母である)私があなたのことを一番よくわかっているんだから」

実際ほぼこの通りのセリフを母から聞いてきた。エニアグラムでいうとタイプ8。若い時はそれなりに整った顔立ちであまり表情を変えない「クールビューティ」。ただ叱る時も怒鳴るわけでもなく、溜息をつくか遠回しな皮肉を言うかなので子供としてはやりにくい。肝っ玉かあさん的に怒鳴ってくれればこちらもやり返すし、その後は互いにスッキリして大円団…となりそうなものを。成長するに連れて大きくなる違和感は、中学生の中頃、とある出来事をきっかけにして決定的なものとなった。
だから私は正反対の母親だった。子供と真正面からぶつかるし、言っても聞かない場合は手を上げたこともある。だからといって、子供との関係が悪化しているわけではないし、二人とも順調に4年制大学を出て、今のところ社会人として真っ当に生きている。

小さな子供にとっては母=世界ともなり得るというし。何らかの影響はありそうだ。


現段階ではこれらを並列に並べておくしかない。いつの日か、関連性の糸が現れ「こう言うことだったのか!」となるかもしれないが。

 

 

 

 

 

 


 

言語化できない傷〜’18-’19LPLマスターコース回顧録(その2)

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(当日のセッションで引いたOSHOカード「怠惰」)

 

「人生に半分しかコミットしていない」
そうあけみちゃん(LPL講座主催の岡部明美さん)に言われて、その言葉の意味するところをいろいろ考えてみた。


とはいえ「どうしてこんなこと言うんだろう?」という思いは消えない。強いて挙げれば、


自分を低く見せて、保険をかけている。相手に警戒されないことと、100%コミットして結果が出なかったら、みじめな思いをするだけなので、そういう状態に陥らないようにしている。


という感じもするが、完全に肚落ちしているわけではない。他にも何かあるような…。相変わらず悶々とした日々は続いていた。


そうこうしているうちに、マスターコースのASV(アケミ・スーパーバイザー)の日が迫ってきた。受講生のセッションに対して、あけみちゃんが直接アドバイスしてくれるもので、認定試験を間近に控えている人には、カウンセラーとしての模擬試験にもなり得る。LPLではただスキルを使いこなすだけではなく、自分自身の在り方も問われるので、なかなか大変とも言えるが…。


この際クライアントとして、このテーマをセッションで取り上げてみよう。一人で考えていてもラチがあかない。


と思い、一方で


確かに世界に100%コミットしているとはいえない。どこがどう、とははっきりしないが、何か停滞感・もどかしさ・モヤモヤしたものを感じる。半分とは言わないまでも、コミット率は3分の2くらいか。ならばその部分の出力を上げればいいのではないか?例えば今の1.5倍出力を上げれば、3分の2=約66%のコミット率でも、
0.66×1.5=0.99≒1.0
ほぼ100%になるではないか。
わからずにモヤモヤしてるくらいなら、いっそコミットできてる部分を最大出力に上げれば結果は同じだ。単純にそんなことも考えていた。

 

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そしてASV当日。
3日間通いの講座の最終日、午前中にセッションの機会はおとずれた。
クライアントは私、同じ受講生の仲間がカウンセラーとなり始まった。「世界に半分しかコミットしていない」と言われて、何をどうしたらいいのかわからない、ということを主訴にして話した。


一区切りついた時、あけみちゃんが介入(アドバイスを入れる)してこう言った。


みっちゃんわかる?あなたは20分間まったくセラピストの顔を見ずに話していたんだよ。


気がつかなかった。
もちろんカウンセラーとなった受講生仲間を信頼してない訳がない。むしろ尊敬しているくらいだ。
とはいえ、過去のエピソードを話す際、たまたまその場に居合わせたメンバーがモデレーターとして周囲にいたので〜向かい合って座るカウンセラーとクライアントを半円形にして他の受講生が取り囲む形になっていた〜、その人たちに話しかけたりもしていた。


いわゆる「今、ここ」には居ない状態だったとも言える。


あけみちゃんがカウンセラーにもいくつか指示を与えたのち、セッションが再開された。その人が得意としている、ビリーフリセットと呼ばれる手法を用いて問いかけがなされた。


ただ、普段ならその人は切れ味よく「ビリーフ=思い込み」を外していくのだが、その日は様子が違った。
クライアント(=私)の答えがはっきりしない上に、体の反応もそんなに出なかったのである。要は思考の問題ではないので、いくら言葉掛けをしてもらっても、何も反応できないのだ。


でも何かある


思考でなければ、それは身体にある…


傷だ


でも頭で痛みは感じない

 


セッションは時間切れとなり、続きは結局また日を改めて、ということになった。
自分の問題を解決するだけなら、認定セラピストに個別セッションをお願いするところだが、元々講座の中で公開でやっていたものだから、続きも講座内で公開でやりたいと申し出た。認定試験が近いこともあり、手上げで希望した受験予定の受講生にお願いすることにし、その翌月の春彼岸の中日に日程をセットした。

 


さてこのセッションの続きもさることながら、このASVでは他にも大きな気付きがあった。それも記録しておきたい。


その3に続く。

 

 

 

 

 

 


 

人生の半分しかコミットしていない件について〜’18-’19LPLマスターコース回顧録

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LPL(ラビング・プレゼンス・リーダシップ養成講座)では、本コースが11月に修了した後、希望者向けにマスターコースが月一回開かれる。通常の講座で取り上げきれないメソッドの深掘りや、年度末のカウンセラー認定試験対象者を中心に、主催の岡部明美さん(受講生は皆あけみちゃんと呼ぶ)直々に自分のカウセリングについてのアドバイスをもらえるASV(あけみスーパーバイザー)など、ほぼ月一回のペースで行われる。
当初、初受講生の自分にはレベルが高いから関係ないかと思っていたが、受講者に〇〇さんが来るのなら、と軽い気持ちで参加してみた。


そうしたら、想定以上に濃い学びの場だった。いや学びを超えた大小様々な気付きがあり、それは今回再受講生として向き合う姿勢を大きく変えた。
まったく個人的な備忘録ではあるが、ここに記録しておこうと思う。

 


第1回のジャーニーワークの回も深い学びと気付きがあったが、現在も続く大きな課題として浮上したテーマは、2019年1月下旬に実施された、第2回のファミリーコンステレーションの回であった。


ファミリーコンステレーションとは、一対一のカウンセリングでは見えにくい問題を、家族の座として代役を立てて、その構造(立ち位置や向き、各人の距離など)を見ることで、家族内に起こっていたことがクライアントの主訴にどう関わっているのかを明らかにする手法である。この回は2泊3日の宿泊形式で行われ、参加者がクライアントとして、自分の問題を明らかにすべく立ち、真剣で内容の濃いセッションが行われていた。

 

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(宿の食事は完全ヴィーガン料理。美味しい)


セッションを重ねる毎にある事に気付く。代役によく選ばれる人とそうでない人がいる。代役を選ぶのはクライアントだ。例えば自分の父親役なら、それにエネルギーの近い人を選ぶ。なので男性の役を女性がやることもあるという。大抵は雰囲気の似た人に、となるのだろうが。私はそれまで一度も選ばれていなかった。


最終のセッションに入る前に、車座になって参加者全員で質疑応答の時間となった。どうしても気になっていたので、終了間際に手を挙げて、あけみちゃんに聞いてみた。


「あのー、程度の低い質問で恐縮ですが、自分はここまで一度も代役に選ばれていないのですが、何かあるのでしょうか?」


言い終えた途端に、
「みっちゃん(私のLPL内の呼び名)!また自分をそうやってディスカウントしてる!」と強い口調であけみちゃんが言った。


しまった。前から注意されてたことではあったのに。私は自分を卑下して話す癖があると以前指摘されていたのだ。


「またそうやって、下から様子を伺うようにしてるでしょ!」


えっ?自分ではなんの自覚もないが…。
でも近くに座っていた人が、大きく頷いていたのでたぶんそうなんだろう…。


「なんで選ばれないかってね、それはみっちゃんが世界に半分しかコミットしてないからよ」


は?なにそれ訳がわからない。
もちろん全てのセッションに真剣に参加しているし、クライアントの話もお義理で聴いているわけではないのに…。

 

程なく時間となり、次のセッションが始まった。最後のセッションで、ようやくクライアント本人の代役として場に立った(別に先のやり取りを聞いて私に決めたのではない、前もって決めていたとご本人から話があった)。

 

ひとまず落ち着いたものの、あけみちゃんに言われたことの意味はわからずじまいのまま、重い荷物と共に抱えて宿を後にした。

 

(その2に続く)

 


 

魂の存在を感じて〜LPL12期第3講の学びから得たもの

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   いよいよまた半年間の心の学びが始まる。こうした心の学びを言語化するのには難しい側面もあるのだけれど、昨年の学びの中でなかなか言葉にできなかったものがある。それをここに記しておく。

 

それは2018年7月の第3講、第2チャクラの学びであった。

  その回は仕事の都合で、本来自分が登録しているのとは別のコースに参加した(カリキュラムは一緒)ので、参加者の半分以上は初対面、という状況だった。

   休憩時間直前、6〜7名のグループセッションでのクライアントと言い渡されていたのが、急遽、講座主催の岡部明美さんが受講生全員の前でやる公開セッション、通称「大まな板」のクライアントに切り替わったと明美さん自ら言い渡しに来られた。

    準備しながら「やっぱり来たか」という思いが…。30代で未亡人となった自分は、この第2チャクラ〜パートナーシップをつかさどるチャクラ〜におそらく様々な傷を抱えていて、まだそれが癒えてない、ということか。

 

約30名の受講生全員が見守る中、カウンセラーの明美さん(以降LPL式にあけみちゃんとする)と向かい合わせに座る。何人か見知った顔はあったが、受講生の席の方はなかなか顔を向けることができない。 主訴(相談のテーマ)として、その前の座学も踏まえてまとめたものを話す。

 

自らの死期が迫る中、ただ一度だけ亡夫が取り乱したのは、がんセンターの婦長に対してだった。なぜ妻である私ではなかったのか。そんなに信頼されていなかったのかと思うと情けないし、憤りすら覚える

 

というもの。多少感情は動いたが、例によってほぼ淡々と話す自分。

 

ひと通り聴いたのち、あけみちゃんはエンプティチェアという手法を使って、夫と私を対峙させた。向かいの空の椅子に夫が座っている(と想定する)。そこに向かって私は言いたかった思いを放つ。とはいえそれは激しいものにはならない。言われても私は何もできなかっただろう。がんセンターの婦長さんなら、プロとしてしっかりと受け止め、死期迫る患者の苦悩を和らげるすべも知っていることだろう。

 

つくづく自分は無力だ。

結局救えなかった。

 

次にその向かいの席に、夫として座り、今まで私が座っていた空の椅子に妻である私を見、カウンセラーのあけみちゃんの問いかけに答える。

「あなたの奥様はこうおっしゃっていますけど、それを聞いてどう思いますか?」

 

信頼してない?いやそれとは違う。

確かに婦長なら仕事として受け止めるだけだから…でもそれよりも…

 

妻の記憶に残る最後の自分の姿は、やはり病気になる前のクールな自分でいたかった。取り乱した自分の姿を妻の心に焼き付けて、悲しみをさらに妻に抱えさせてこの世を去るのは忍びない。

妻にはクールなままの自分の姿で覚えておいてもらいたい。

 

そんな思いが湧き上がり、言葉にした。

もちろん夫の真意は今となってはわからない。でもこれらの言葉がなぜか腑に落ちた。

 

今生を去った夫の、良い意味のプライドと、奥に秘められた優しさだったのだ。

 

周囲からすすり泣きが聞こえる。

でもそちらを向いて確かめる勇気はなかった。

 

あけみちゃんから、夫の代役を一人選んで夫の椅子に座ってもらうよう指示があった。全くの初対面だったが、もしそうなったらこの方に夫の役を、と思っていた方にお願いした。夫として座ってもらい、あけみちゃんから「あなたはこの妻を見てどう感じますか?」と声掛けがあった。その人の口をついて出た言葉が、

 

「愛おしい」

 

20年近く「もうどこにも夫は居ない。居ない。どこにも居ない」という思いでギチギチになっていた自分の内面を、その言葉がゆるめてくれ、スペースを空けてくれたように感じた。

 

「亡くなった人はあなたの心の中で生きている」とよく言われるが、単なる慰めだと思っていた。でも、心の中というよりは、魂としてそこにいるような感覚を覚えた。よりスピリチュアルになってしまうが仕方ない。感覚の話なので。

 

講義全体が終わってから、ロビーで荷物を整理している私に、何人もの人が「さっきのセッションは良かった」「心を動かされた」と声を掛けてくださった。初めて会う人もいた。それも私にとっては驚きの体験だった。

 

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それから2か月ほどして秋彼岸。夫の命日を迎えた。いつもなら様々な後悔や「もし生きていたら」という詮無い想いがしきりに湧いてきて、下手をしたらそれに飲み込まれてしまうのだが、その年はまったくそれがなく、穏やかな気持ちで過ごすことができた。もちろん、抱えてきた罪悪感や寂しさなどの感情が一掃されたわけではない。ただ魂が「ある」と感じることで、負の感情が悪影響を及ぼすことはほとんどなくなった。

 

もちろん深掘りすることで出てきた感情もある。今も思い返してこの文章を綴っているだけで、感情が結構動いているのがわかる。

 

さて。これから始まる13期での学びでは何が起こるのか。そして何を得て何を手放し、自分はどこへ向かうのか。

 

そのプロセスは全て正しい。

 

 

 

 

 

令和が始まる〜自分は何処へ翔んでいくのか(その3)

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改元だから、というわけで「私にとって令和とはどういう時代か?」をOSHOカードに問うてみた自己満足シリーズ(笑)

 

http://www.mi77.jp/entry/2019/05/01/231052

http://www.mi77.jp/entry/2019/05/08/182218

 

今回は残りのカードについて。

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4番目のカード は責任(レスポンシビリティ)の内側の支え(直感)を示し、

5番目のカード  外側の支え(直感に呼応した知性ある行動)を表す。

   (OSHOカード解説書  p177)

 

前者で出たのはPOSSIBILITIES(可能性)のカード。後者で出たのはINTENSITY(激しさ)のカードだった。

自分の可能性を信じてガンガン行け、みたいなイメージに見える。ただ今のところは亀の…いやカタツムリの歩みさながらでもどかしい状況なのだが。

 

で、最後はこちら

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6番目のカードは、リラクセーションと受け入れること、

7番目のカードは、覚醒の新しいレベルへの到達、を表す

   (OSHOカード解説書  p177)

前者はCONPARISON(比較)、後者はPROJECTION(投影)…おやおや、「比較」は劣等感や優越感をいたずらに生み出し、「投影」は他人の中に自分(の問題)を映し出し、その人を評価するというあまり好ましくなさそうな感じだ。「一周回ってなんとやら」ということなんだろうか?

 

それは避けたいが…いやいやもっと深い意味があるのかな?

 

「フラインクバード」の形で引かれたカードは「それぞれ前のカードに呼応し、『鳥』をさらに高く上昇させ、質問者をより大きな明晰さと内なる広大さへと入って行かせます」(解説書p177)という。

 

令和になって10日。

さてさて飛べるかしら?

 

令和が始まる〜自分は何処へ翔んでいくのか(その2)

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未曾有の10連休が終わって、名実共に令和が始動した。

改元の日にカードを引いて、自分にとっての新しい時代に想いを馳せてみたのがこちら。

http://www.mi77.jp/entry/2019/05/01/231052

中央の1番は、今とここー「離昇」のカード

で、今回は残りの2・3のカードについて見ていきたい。

 

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2番は、抵抗のカードー「飛ぶことへの恐怖」…これが「THE  LOVERS(恋人たち)」ってどういうこと?こんなオバさんにも色恋沙汰が持ち上がってくるのかしら?それとももっと深いパートナーシップの何かとか?

ちなみに前にも書いたが私は未亡人なので、現在戸籍上は独身である。

 

3番は、恐怖への対応力(レスポンス・アビリティ)を表すカード。これが「CONSIOUSNESS(意識)」というのも不思議な気がする。カードに大仏が描かれているが、いま立て続けに仏教関係の本を読んでいるところなのだ。マインドフルネスとか世界を見る主体の話とか…そこから気付き(悟り?)を得て、飛ぶことへの恐怖を克服するのだろうか?ちなみに、OSHOカードの解説書では、「意識」とは「からだと心を超えたなにか、あらゆるものを超えたなにかだ(p155)と書かれている。

 

うーん…深いようなよくわからないような。

 

4〜7番目のカードについてはまた次回に。

 

 

 

 

マルチタスクは難しい〜3・4月の振り返り

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年度末を走り、桜の開花に一喜一憂し、「平成最後の〜」から「あけまして令和」などとやっていたら、2019年も3分の1が経過したわけで。

ニュースも通常モードで「10連休は長すぎる」などという街の声を拾ったりしている。

 

さて、この2ヶ月はいつもの年とは違う。会社勤めに投じていた週5日×10時間を、自分の手に取り戻した。それで「さあ!思い切って自分の好きなことが出来る!」と意気揚々となるかと思っていたが…ちょっと違うのだ。

 

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3月はとにかく生活リズムを整えるのに精一杯だった。もともと春先は自律神経の関係か睡眠時間が乱れてしまうのだが、9時間寝た翌日は3時間とか、トータルで6時間寝てても2時間ハーフタイムのごとく、中途覚醒が起こってしまうとか…。ようやくこのところ6時間半で落ち着いてきたところに、「改元年越し」で後ろへ3時間ずれ込んでしまっている。

 

それとどうやら自分は同時並行で複数の事を行う「マルチタスク」が苦手らしい。「アレをやらなきゃ」の「アレ」がずーっと頭の中にこびりついてて、心に余裕が生まれない。「今ここ」に集中できないのである。目の前のことに集中していればいいのに、別のことを考える。

で、なんとかひとつ終わらせてようやく次のこと、となり、しかもその歩みは亀のごとく、なのだ。

まあよくこれで、「スピード感を持って!」が連呼されるあの会社にいたものだ。そういえば辞めた直後はまず疲労回復に勤めてたもんなぁ…。

 

生活リズムの建て直し→資格試験の勉強→ご褒美のファスティング旅行→生活環境の建て直し(断捨離)と、ゆっくりではあるが、テナントが替わって改装している店舗のごとく、一歩を進めている。

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で、次をそろそろ展開しないと。

だが今かなり断捨離に苦戦中なのだ。

なんでこんなにいろんなモノを取っておいてしまうのか…。

マインドセットを変えないとだなぁ。

「ときめきますか?」

「んーとりあえず取っときます」

これではアカンでしょ。