スピンオフ/心の深堀の中で出て来たモノたち〜’18-’19LPLマスターコース回顧録(その3)

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2019年2月。
会社の最後の引き継ぎと次女の入院・手術でタイトな日々の連続だったが、その中で受けたLPLのASV(アケミスーパーバイザー)セッションは、クライアントととしていろいろな気付きを与えてくれた。ちなみに主訴は「『人生に半分しかコミットしていない』と言われたが、それはどういうことか。自分は何をどうしたらいいのか」ということだった。


最大のものは、
「身体にしかわからない心の傷が存在する。それには言語によるメソッドは通用しない」ということだったが、そのほかにも幾つか見逃せない副産物があった。いや、もしかしたらこちらが主流なのかも知れない。ただ構造としてどうなのかはわからないので、並列しておくしかないのだが。


♦︎「出力150%」の功罪
前回の記事にも書いたが、コミットできてる部分の出力を上げれば、できてない部分(半分と言われたが自分の感覚では3分の1)をカバーして行けると考えた。ない所を探すよりその方が手っ取り早いとばかり、探究はそれとして一旦横に置き、今の自分をフルパワーで出す、というのをASVの講座中に試みた。すると、ちょっと困ったことが起きてきた。
きっかけは他の受講生がクライアントになった時、セッションの中でその方の親族(男性)の代役を務めたときのことだった。そもそもその前にも別の人に対して強い口調で指摘をするなど、周りからは「いつものみっちゃんじゃないみたいだった」と言われるくらい、強いエネルギーが出ていたようなのだが…。
セッションの流れでいうと、思い切り相手を罵倒して、クライアントの感情を動かす必要があったので、これ幸いとばかり男性の口調で、大声で怒鳴りまくった。


するとどうだろう。その日の帰りから翌日にかけて、なぜか高揚感と爽快感に包まれた。怒りを解放しろということか?
ただ怒りは「二次感情」で、その下には悲しさや寂しさなど別の感情があるというが…。妙な爽快感の向こうには何も見つけられなかった。
ただ、周囲の人間は引くか気おされて具合が悪くなるかという感じなので、この状態を手放しで喜ぶわけにはいかない。もっと適正なパワーの出し方はないものか。いったんこの「無敵モード」に入ると、自分でも制御が難しくなる。


♦︎つながりたい至上主義
単なる偶然かも知れないが、今回参加したセッションの主訴がほとんど「(他者と)つながりたい」というものだった。
確かに他者との繋がりは大事だが、自分とはかなり温度差があるように感じた。自分は「来るもの拒まず、去る者追わず」なので、そこまで積極的には求めない。気の合う人と共に、旨い酒と肴で語らいができればそれで充分だと思うのだが、どうだろう?
まあ、自分のコミニュケーションの仕方についてはこれからの仕事との兼ね合いもあるので、見ていく必要はあるとは思っているけれど。


♦︎支配的な母
「人生に半分しかコミットしていない」と言われて、なぜそう思われるのか原因を特定していく中で、関係している可能性とあるものとして、子供の時の母との関係が浮上した。
「あなたは私のいう通りにすれば間違いはないのよ」「(母である)私があなたのことを一番よくわかっているんだから」

実際ほぼこの通りのセリフを母から聞いてきた。エニアグラムでいうとタイプ8。若い時はそれなりに整った顔立ちであまり表情を変えない「クールビューティ」。ただ叱る時も怒鳴るわけでもなく、溜息をつくか遠回しな皮肉を言うかなので子供としてはやりにくい。肝っ玉かあさん的に怒鳴ってくれればこちらもやり返すし、その後は互いにスッキリして大円団…となりそうなものを。成長するに連れて大きくなる違和感は、中学生の中頃、とある出来事をきっかけにして決定的なものとなった。
だから私は正反対の母親だった。子供と真正面からぶつかるし、言っても聞かない場合は手を上げたこともある。だからといって、子供との関係が悪化しているわけではないし、二人とも順調に4年制大学を出て、今のところ社会人として真っ当に生きている。

小さな子供にとっては母=世界ともなり得るというし。何らかの影響はありそうだ。


現段階ではこれらを並列に並べておくしかない。いつの日か、関連性の糸が現れ「こう言うことだったのか!」となるかもしれないが。