michynoteの日記

ファイナンシャル・セラピスト。 大手証券会社で約20年間営業を経験、 別の証券会社にて調査部経験もあり。 CFP®︎認定者。 傾聴とトランスパーソナル心理学のメソッドを用いて、あなたのモヤモヤをクリアにします。

言葉にするとこぼれ落ちるもの

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なんとなくバタバタと5月が終わってしまった。

 

とはいえ、昨年のように刻々と変わる事態にヤキモキして振り回される感じはあまりない。ただ、今感じていることを言葉にしていくのに、難儀している。

 

言葉にすれば

何かがこぼれ落ちる

 

正解を求めること

果たしてそうやって問いを立てること自体がどうなのか

 

とりとめのないまま

言葉になる以前の“何か”を感じながら、雨の季節を迎えていく。

 

 


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”我がまま”に活きる、とは

 

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心の学びを始めてから約3年が経過した。

その間、よく「自分を愛して」「自分を大切に」と言われるが、具体的に思いつくのはマッサージに行くことくらいである。

会社員時代は、よく背中が鉄板のようになって接骨院に駆け込んでいたものだが、それから比べれば随分とマシな状態ではある。しかしまだ「自分を愛して/大切に」が面映ゆく、また「甘え」のようにも感じられてしまう。

 


そもそも肝心な「自分」についてもよくわからないことが多い。言語化できてないだけかもしれないが。

 


そんな時、友人との会話のなかで「わがままに生きる」というフレーズが出てきた。

 


わがまま。

そのまま受け取ると、特に日本ではネガティブなイメージが強い。

子供を育てる際にも「そんなわがまま言ってはいけません」と何度も繰り返される。

そんな自分勝手が世の中通用すると思うなよ、と。

 


だがちょっと表記を替えて、

”我がまま”としてみるとどうだろう。

 


我が、まま。

自分のまま、だ。

 


我がまま、に活きてみる。いきいきと、自分のままに。

その過程で「自分な何を心地よく感じ、何をしたいのか、どうありたいのか」が見えてくる。

それは自分を知り、理解することにつながる。

「理解すること、わかろうとすること」も愛の一つのあり方だ。

 


先の会話で、「身体が辛い」「気持ちもしんどい」と訴えつつも、最後には「でも自分が休むと(職場の)みんなに迷惑がかかる」に帰結する友人。

当初、私は「上司に勤務時間短縮や、期限付休職を提案してみてはどうか」と答えていたが、どうも本質はそこではないと気付いた。

 


「じゃあ、みんなが良ければ、自分は辛いままでもいいの?」

「…良くない。…でもわがまま、と思われる…」

「それって、”我がまま”(イントネーションも変えて)としたら、”自分のまま“ってことではないのかな」

 


発想の転換ののち、「周囲の人たち>自分」がこれまでの人生の公式だったと、友人は気がついたようだった。

 

 

”我がまま”は悪ではない。

そして”生きる”だけではなく、いきいきと”活きる”

とはいえ、いきなり言動を変えると周りがとまどい、時には反発を買うこともあるだろう。

なので些細なことでいいので、「感覚」「快・不快」「気持ち」で選択することを、まずは積み重ねてみよう。

「(この方が)得だから」「正しいから」といった、ある意味「合理的な」理由づけによる選択を、まずはいったんやめてみる、手放してみる。

 


そこで、「”うまくいかないパターン”が繰り返されている」のだとしたら、そこには根深いビリーフ(思い込み)がある可能性がある。

 


別れ際、友人は「私は”死ぬのが怖い”とずっと思っていたけれど、それは本当に死ぬことではなくて、”自分の人生が生きられないこと”が怖かったんだろうなあ」としみじみ語っていた。

もう彼女は”我がままに活きる”方向へと人生の舵を切っていくだろう。

 


さて振り返って自分はどうか。

3年前にこころの学びを始めたあたりから、徐々にそちらに舵を切り始めたように思う。非常にゆっくりとした動きではあるが。睡眠や食事の改善に取り組んでいるのも、その一つだろう。

 


「周りのために」はもう十分やってきたのではないだろうか。

 


これからは自分の人生を十全に、我がままに活きていく。

 

 

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食べても太らない体質に変わった?〜オンラインファスティングその後

 

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春分の日にオンラインファスティングをやってから、3週間が経過した。

 


徐々に動物性たんぱく質や、米・コーヒー・アルコール・チョコレート・ケーキを解禁している。

 


特筆すべきは、毎朝食べていたパンをほぼやめてしまったこと。

以前なら都内に出かけた時など、必ず美味しそうなパン屋を見つけては買っていたのに。

 


それと他の人と食事をすると、やっぱりビールを飲んで中華やイタリアン、となっていたが、翌朝体重がほとんど増えないのだ(プラス0.2〜0.3キロ)

 


ただココで油断したらリバウンドするんだろうな…

体重も2.5キロはストンと痩せたけど、そこから一進一退が続いていて、なかなか目標の5キロに届かない。

 

文字通り道半ば。

ここが正念場だ。

 

ここからはやはり食生活のさらなる改善か、あるいは筋トレかウォーキング等の運動か…

 

またまた思案のしどころである。

自分本来のリズムを掴む〜冬至から春分まではオフシーズンにしようと思った件

 

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2021年の春。

例年よりも早く訪れたようで、南関東では四月の声を聞くとソメイヨシノは葉桜へと向かっている。


ちょうど年度替りなので、この四半期を振り返ってみた。昨年は刻々と変わるコロナウイルスの感染状況に、やや戦々恐々としていたけれど、この春は気持ちの上では振り返りをしたり、桜を愛でる余裕がある。

まだ予断を許さない状態だが、相手(ウイルス)についていくばくかの知見を得たからだと思う。

 

 

さて第一四半期を振り返ってみると…

 


前年の秋に身内が亡くなり、一連の忙しさも12月初頭の納骨式で一段落した。が、それもつかの間、年末年始のバタバタに突入し、そのままズルズルと冬を越してしまった。春分の日あたりから、ようやく「冬眠」から覚めて動き出した感じがする。

前回の記事でも書いたが、同時期にオンラインファスティングを受けていて、余分な体重も2.5キロ落とせて身体も調子がいい。

 

 

なんとなく冬場は活動が鈍る。身体だけではなく、精神的にもそんな気がする。いわば「エネルギーが低下する」状態になり、思考も回らなくなるのだ。


なぜだろう?


寒いとどうしても縮こまり、外へも出づらく引きこもる(例の『外出自粛』は自分にとってはあまり関係ない。寒いから篭っていた)


では単に寒さだけが原因なのか?

冬期に沖縄など暖かいところにステイしたなら、果たしてパフォーマンスは上がるのか?


他にも原因があるのか、今のところは思い当たらない。

会社員時代は、そんなことにも気付かず年中数字を上げることに追われていたっけなぁ…。

 

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とにかく、調子の上がらない時期に無理をしても仕方ない。同じエネルギーをインプットしても出てくるパフォーマンスが低くなり効率が良くない。

 

 

なので、冬至から春分の日までは勝手に「冬季休業」と決めてしまった。

冬場になると通行止めになる山の観光道路とか、プロ野球のオフシーズンのあのノリだ。(まあ冬場がシーズン真っ盛りのスポーツもあるが)

 

冬の間は、徹底的な断捨離・整理/デトックス。からの徹底的なインプット(セミナー・ワークショップ・読書)そしてプランニング、段取りを行なう。暖かい温泉でじっくり癒されるのもいいなぁ。


そして上記で得た知見を、春からセミナーやブログでアウトプット出来たら…と思っている。


ただ今年は前述の通り全く「仕込み」が出来ていない。読書量も大物に取り組み時間がかかったせいか、読了したのはたったの5冊だ。

映画だけは計9本とよく見たけれど。

 

自分の「取扱説明書」ではないが、案外自分のことはわからないもの。

もちろん社会的な役割や環境、自分以外の価値観に合わせることで、わからなくなっている面も多いのだが。

 

 

どんな時にパフォーマンスが上がって、どんな時にそれが下がるので負荷を掛けられない状態になるのか、自分自身のことをよく知る必要がある。

もう若さと勢い(それと昭和的気合い)で「エイやっ!」と物事を推し進めるのには無理があるし、もはやそうした時代でもない。

 

軽やかに、自然体で。

なんだかふんわりとイメージ先行の感も否めないが、こういう心持ちで自由にいろいろやって行けたらいい。


春爛漫。

充実した日々を重ねていきたい。

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

オンラインファスティングで春分の日にデトックス

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春彼岸の週末、2泊3日で伊藤ヒロ・マナさん主催のオンラインファスティング合宿に参加した。

 

 

 

  目次

1.心配事はプレ講座で解消
2.いよいよファスティング開始
3.酵素ジュースと瞑想で空腹感に飲まれない
4.塩分(ミネラル)の大切さに気付いた
5.大切なのはこれから〜回復食と食習慣の改善
6.私たちは食べ過ぎている〜身体ではなく何が食べ物を欲しているのか
7.おわりに

 

 

 

 

1. 心配事はプレ講座で解消

 

ここ数年、毎年「5キロ痩せる」という目標を掲げては頓挫していた。逆に1キロ太ってしまう始末である。以前ジムに通いだした直後に筋トレが楽しくて、5キロ減量を達成したことはあったが、リバウンド後はずっと「高値安定」状態が続いていた。やはり「炭水化物とカフェインで生きている」ような食生活を改善しなければ…

 


そんな中、SNS上でファスティングに取り組む人たちの様子を見ると、皆一様に「すごくよかった」「○キロ痩せた」「体が軽くなった」と感想がいいことずくめなのだ。だんだん気持ちが傾いてきたが、いくつか心配なこともある。

・空腹感に耐えられるか

・飲み慣れない酵素ジュースを飲んで大丈夫か

・オンラインなので自宅で行うのだが、ついついおやつの在庫に手を伸ばしてしまわないか

 


そうした疑問は2時間のプレ講座(オンライン)で解消できた。

どんな些細なことでも、主宰のヒロさん・マナさんが丁寧に答えてくださる。

 


申し込みを済ませると、数日後にはファスティングで必要な、

・酵素ジュース(約200ml)

・梅醤の素(梅干をペースト状にしたものに醤油・生姜等を加えたもの)

・梅干5個(最後の「明けの食事」に使用)

・三年番茶

が届く。ちなみに三年番茶以外は全てヒロ・マナさんの手作りである。

 

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2. いよいよファスティング開始!

 


会社勤めの方も参加しやすいように、金曜日の夜からスタートする。

 


1日目 

19:00  Zoomにて集合  ※

           自己紹介※

19:30  夕食(酵素ジュース)

20:00  瞑想(OSHOチャクラサウンド瞑想)

     瞑想後解散

 

2日目

7:30    瞑想(OSHOダイナミック瞑想)

9:00    朝食(梅醤番茶) ※

10:15   瞑想(ヴィパッサナ瞑想)

11:15   自由時間

12:00  昼食(酵素ジュース)

15:00  瞑想(OSHOクンダリーニ瞑想)

17:30  夕食(酵素ジュース) 

18:30  クリスタルボウルでの瞑想 ※

     終了後自由解散

         

3日目

8:00 瞑想(OSHOダイナミック瞑想)

9:30 朝食(梅醤番茶)

11:30  瞑想(OSHOナーダブラーマ瞑想)

13:00  食事(サラダ、スープか味噌汁、梅干し5個)※

15:00  最終シェア  ※

17:00  終了

 


  (案内メールより転記。※は参加必須)

 

 

 

このファスティング合宿の醍醐味は、なんと言ってもバラエティに富んだ瞑想を体験できるところだ。(参加必須ではないが皆参加していた)

瞑想というと、ただじっと黙って座っている、というイメージだが、ここでは動いたり、声を出したりする瞑想を取り入れている。特に朝一番の(この時間にやるのも理由がある)OSHOダイナミック瞑想は、大声で叫んだり動き回ったりして、思考でいっぱいになった頭の中を「空(くう)」にする。

 


「えっ、うちはマンションだからそれは難しいなあ」

ご安心あれ。集合住宅住まいでもできるやり方がちゃんとある。

 


リアル会場も良いが、自分の場合は周りの音や振動がどうしても気になって、自分の内側へ集中しづらくなってしまう。その点オンラインだとファシリテーター以外の参加者は音声をミュートにしているので、瞑想に集中して取り組める。

 


さらに2日目夜のクリスタルボウル演奏を聴きながらの瞑想も心地よい。

主宰のお二人はクリスタルボウルの奏者でもある。名古屋のリアル会場からzoom配信される演奏を、自宅のベッドの上で寝ながら聴けるのは至福であった。

 


そして最終日。各自で「明けの食事」を用意する。

 


薄めの味噌汁(またはスープ)/生野菜のサラダ/梅干5個

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食べたものが身体に染みわたり、食材ひとつひとつの味をていねいに味わいながらいただく。

最後に梅干5個を食べ、また最終シェアのためzoomに集まるのだが、フッと画面から消えた方には、無事に腸からの便りが届いたこととなる。この辺も気軽に中座できるのがオンラインのいいところ。

 

 

3. 酵素ジュースと瞑想で空腹感に飲まれない

 


この間、不思議と空腹感に飲み込まれることはなかった。もちろん生理現象としてお腹は鳴るのだが「ああ、なっているなあ」と思うだけで、「あー、お腹すいたお腹すいたお腹すいたー!」とはならない。

2日目午後の休憩時間に、近所のショッピングモールへ県知事選の不在者投票のため出かけたのだが、会場に入るまでに向かいのお菓子屋の苺大福を目にし、スターバックスからのコーヒーの香りを嗅いでも、ほとんど気持ちは揺らがず、用事だけ済ませてサッサと帰ってこれた。

 


これには酵素ジュースと瞑想の影響が大きいと思う。

酵素ジュースは無農薬の果物や野菜、エディブルフラワーなどから作られる。生命活動には様々な酵素が必要だが、人間40歳を過ぎると自分の体でそれを作り出すことができなくなると、レクチャーの時に教わった。要は最低限の必要なものは「満たされて」いるのである。

 


さらに瞑想で内面が「満たされる」。動的な瞑想から静的な瞑想へと移ると、雑念が取り払われた(これも思考のデトックス)自分の内面を、「観照者」として静かに見つめることが少しずつできてくる。得がたい体験である。

 

 

 

4. 塩分(ミネラル)の大切さに気付いた

 


ファスティング中は、水(白湯)と塩分は自由にとっていいことになっている。なのでけっこう水分はとっていた。が、塩分についてはあまり気にしていなかった。

3日目の朝、OSHOダイナミック瞑想の際、左手がガクガクとしびれ出し、上半身が貧血の前触れのような状態になってしまったため、一瞬離脱して塩を舐めて戻った。以前炎天下で外出していて

似たような症状になったのを思い出し「塩分が足りない」と気付いたのだった。

頭ではわかっていたけれど…塩が生きていくのにこれほど必要とは思わなかった。もちろん取り過ぎは良くないが、「精製塩ではミネラルは足りない。ミネラル豊富な塩(『ぬちまーす』など)はむしろ大いにとっていい」とは、マナさんの言葉であった。

 

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5. 大切なのはこれから〜回復食と食習慣の改善

 


ファスティング終了後は、徐々に日常の食事に戻していく。動物性タンパク質やアルコール、カフェイン、香辛料などは4〜6日後から取るのが望ましい。10日後から通常の食事(ただし量は6〜7分目)に戻してよいが、せっかく良い習慣が身につきそうなので、できるところまで続けてみようと思う。

なので朝は今までのパンとコーヒー、ヨーグルトから、三年番茶と梅干に切り替えた。

朝のタスクもスムースに行なえて、時間が有効に使えるように思う。

ただコーヒー自体はやはり好きなので、どういう形で復活させようか思案中である。

 

 

 

6. 私たちは食べ過ぎている〜身体ではなく何が食べ物を欲しているのか

 


今回のオンラインファスティング合宿に参加して、いかに普段食べ過ぎであったか、を痛感した。身体が必要としている以上に食べていたのである。

では何が食べ物を欲しているのか。

一つには「習慣」である。「正午になったからお昼を食べなきゃ」とお腹がそこまで空いてなくても時間で食べてはいないか。また年齢や生活環境が変わっても同じような食生活を続けてはいないだろうか。また俗にいう「目が食べたい」ということもあると思う。

 


そして二つ目は「内面の満たされなさ」を食べ物で埋めてはいないかということだ。ストレス発散のために夜中に菓子やラーメン等を食べてみたり、つい酒を飲みすぎたりなど…。見るべきは「『何が満たされていない』と感じているのか」なのだが、そこに向き合うのは、時にかなり辛かったりする。なのでスルーされがちだが、「穴を埋めるために食べる」行為を重ねると、時には深刻な病気を引き起こすことにもなりかねない。手前で引き返す勇気が必要だ。

 

 

 

7. おわりに

 


様々なことに気づかせてくれた、オンラインファスティング合宿であった。

終了から10日目となった3月末日現在、体重は2.5キロ減、体脂肪率は2.7パーセント減となっている。内臓脂肪の不変の値が0.5キロ減ったのも喜ばしい。

 


これからも定期的にこのオンラインファスティングに参加したいと思っている。

身体のためもさることながら、自分なりに瞑想を深めていきたいと思うようになった。

毎月開催されるとのことなので、うまく都合をつけていきたい。

 

4月16日より第3回オンラインファスティング瞑想開催…モニター価格のうちにぜひ。
https://resast.jp/events/536271

感情に出会う〜大野幸子 "emotion‼︎私に「出会う」展覧会"に行ってきた。

 

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「自分の感情」を味わってみたことがあるだろうか。

大人になるにつれ、そういうひと時がだんだんと少なくなっていく。あるいは、子供の時から「感情にフタをする」ことで自分を守ってきた人もいるかもしれない。


そんな感情のエネルギーを、アートにして展示しているのが、この個展だ。

 


感情の要素として「喜怒哀楽」がよく言われるが、こちらでは「怒・哀・楽・愛・喜」の順にコーナーが分かれている。


各コーナーの間には薄い幕があってそこをカーテンをめくるようにして入っていく。まるで感情の層を降りていく「ジャーニーワーク」のようだ。

 

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絵の具の厚み、筆の勢い、ときには思いもよらない手法で感情のエネルギーを表現している。


絵の前にたたずみ、そこから湧き出るものを感じてみる。

この時、自分は説明書きがあるとついそちらから「読んで」しまうことに気がついた。どうやら言葉にせずに感じることが苦手のようだ。

 


作者の大野さんは、気さくに声をかけてくださる。

「アートの敷居を低くしたい」という思いが彼女にはあって、とても自由な雰囲気の展示だ。なので一般の美術館での静かな美術鑑賞に慣れている人は、最初戸惑うかもしれない。

 


作品の撮影も自由。

気になったものをいくつか挙げてみる。

 

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「愛」をテーマに

 

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中心にあった「Just  my  Love」

 

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「喜」のコーナーより「六カイカ」

モチーフはラナンキュラスという花

 

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「wing melody  JAPON」

 

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「楽」のコーナーより

「私の組み合わせ」とてもユニーク

自分だとどんな作品になるか、作りたくなってくる

 

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「怒」実際の色彩はもっとドス黒い感じ。私ならどんな色で怒りを表現するんだろうか。

 

 

図録がないので、タイトルが違っていたらご容赦を。


作品に向き合っていると、自分ならこのテーマでどう描くだろう、どんな色を使うだろう、という思いが絵心のない私にも湧き上がってくる。

 

ただ、ほとばしるような、ある時はみっちりと塗り固めて行くような、こうした絵は感情を解放しなければ描けないだろう。


できれば会場で直に感じて欲しい。

目黒区美術館・区民ギャラリーにて3月28日まで。

 


会場アクセス

https://mmat.jp/access/index.html

 


大野幸子さん

< Instagram >

https://www.instagram.com/yukiko_ohno_/

<公式ホームページ>

https://www.yukiko-ohno.com

3.11「あれから10年」〜節目の年に思うこと

 

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節目の日は木曜日となった。

春らしい日差しの中、かねてよりの予定があり都心に向かう。

 


3月に入るとテレビでは「あれから10年」というフレーズが繰り返すようになった。

自分も会社で体験した震度5弱の揺れを思い出す。電車が全て止まり街から音が一瞬消えたこと、その後降った雨の影響で放射線量が上昇し「ホットスポット」と新聞に住んでいる街が書かれたこと….。

 


とはいえ人的被害は周りではなかった。にもかかわらず、津波の被害に遭われた方の実写ドラマは胸が痛くなって見ることができない。

 


波にのまれて人生を終えたくなかった

 


こんな最後を迎えたくなかった

 


その無念の想いと

新たな希望と

 


いろいろなものを感じて

残った者たちはまた明日を生きていく

 


自分もまたその中の一人だなあと、北の地に想いを馳せた。