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心理学のワークショップに参加し、重要なスキルの一つである傾聴が上手く出来ない、との友人のポストに対し、彼のメンター(師匠)が「傾聴のテクニック(=やり方)ではなく “ あり方 ” が問題」とコメントしたのだった。
すると、続いて “ メンターのメンター ” ともいうべき人がこうコメントした
〈自分自身の心の声を聴く、傾聴はこれができていないと、人の心の声を感じ取ることはできないからね。…(中略)…自分の内なる声をちゃんと聴いてあげているだろうか〉
ー自分の内なる声を聴く
自分は、心理学や福祉の現場で傾聴を行なったことはない。
ただ似たようなヒアリングはセールスの現場で使うことはある。もちろん、その深みにおいては比べ物にならないだろうが、時として相手の人生や価値観、家族への想いに触れることがある。
そうして引き出されたものを丁寧に扱って、そこから引き出された提案は概ね満足していただけることが多い。
その経験から、しっかりとした傾聴が大事たということは理解できる。
ただ、もっともっと深く、それこそクライアントが無意識のうちに「見たくない」「(存在し)なかったことにしたい」としまい込んで、当人さえ首尾よく?忘れ去っていたものを、表に浮かび上がらせる、それは容易ではないだろう。
ましてその前に、自分の心の声を聴く=自分と対峙するとは…
特に問題ない場合もある。
ただ、躊躇するにはそれなりの理由もある。
重要性をわかっていながらなかなか向き合えないのは
自らが見たくない、聞きたくないからだ。
潜在意識の深い闇からとんでもない声が聞こえてくるかもしれない。
そして聞いてしまった以上、後へは戻れない。
友人は意を決して、メンター達に教えを請うようだ。真摯に向かい合うことで、自分に落とし前をつけ、プロのセラピストとしての道も視野に入れて歩みを進めていくらしい。
彼には、心からエールを送りたい。
晴れやかに次のステージへと、歩みを進めていくことを祈る。
さて
自分はどうしたものか。
