3日目−1:「私は母に大切にされない子だ」
講座最終日。
少し早めに現地に着いて、会場近くの神社にお参りしてみる。
今日はメイン講師、大塚あやこ(以下あやさん)さんによるフルバージョンの公開セッション。
そのクライアントはー
なんと私だった。
半分びっくりしたが、半分は「ああやっぱりな」と言う気持ち。
前日の講義の終わり際に「もう明日のあやちゃんのクライアントは決まってますからね」と講座主宰の岡部明美さん(以下あけみちゃん)が言うと同時に、あやさんがちらっとこちらを見たからだった。もしかして隣の席の人か?とも思ったがやはり私だったか。
受講生の皆が扇型に囲む中、カウンセラーのあやさんと向かい合わせに座る。
一昨日から講座内で感じたり気づいたことを時間を追って話していく。
1日目に話した「早々に”相手にわかってもらうこと”をあきらめている」
2日目に感じた「凍りつきの体験」と「背骨まで食い込んだように感じるビリーフ〜私が思ったことを言うと人が傷つく」
前の日に取り上げた「私が思ったことを言うと人が傷つく」と言うビリーフは、話していくうちにだんだん薄まっていくように感じ、それをあやさんに伝えた。
ただその下に「凍りつきの体験」と結びついたコアビリーフ(自己定義)がありそうだが、もやもやしてはっきりしない。
それを探求していくことになった。
その2つの体験をさらに深めていく。
「その時どう感じたか。気持ちを言葉にするのが難しければ身体の感覚はどうか」あやさんが問う。
「わかってもらえない」がデフォルト。
それは3年前にASV(あけみ・スーパー・ビジョンの略。あけみちゃんの前でセッションし、スーパーバイズを受ける場)で、クライアントになった時に「お母さん、私の話を聞いて」が出てきたことを思い起こさせた。
「わかってもらえない」が起こった時の感覚を感じてみる。
肩から腕にかけて力が抜けていく。「やっぱり(わかってもらえない)」「どうせ」という言葉が出る前に「あー…」という感じ。それをあやさんのリードでさらに深めていくと、うなだれてどんどん自分が小さくなり、ついに「体育座り(ひざを抱えて座る)」で頭を下にしたまま、黒い箱の中に入っている子供になった。
黒とか、箱とか…一見ネガティブなイメージで、頭は「これでは引きこもりではないか、いかんいかん」と盛んに言うが、身体の感覚は意外と心地よい。何も感じずこのまま眠ってしまいそうな…”平穏な静寂“。誰もなにもしなくていい、ただこのまま寝かせてほしい…。
ああでもこの「黒い箱の子」は、母からは否定されていたなあ…
「居てはいけない」でもなく「愛されない」とも違う。どうでもいい存在…
たどり着いたビリーフの主文は「私は母に大切にされない子だ」だった。
ビリーフリセットで主文が決まると、「それは本当ですか?」と問われる。
「母に」の一語を入れただけで「95%以上の割合で本当です」と言う答えになった。
頭で「いやそんなことはないかも…」と考えるより先に、身体の感覚が「大切にされた感覚がどこを捜してもない」と言ってくる。
母からほめられた記憶がない。
叱られるというより、ため息を吐かれる。「みっともない」と言われる。
何をやれば/何を改めれば母が私に関心を寄せてくれるのか。
子供なりにあれこれ考えて試みていた時期もあったと思うが、何をやっても霧に向かってボールを投げ込むような感じだった。なのでかなり早い段階であきらめてしまったようだ。
次にこのビリーフを持つことのデメリットを挙げていく。
たくさん出てきたのだけれど、一番大きかったのは先ほどの、
デフォルトでわかってもらえない/わかってもらうことを早々にあきらめる/相手の事は考えずに自分の言いたいことを言う/相手の気持ちを受け取れない(=バットで打ち返す)/人の気持ちが入ってこない・わからない・扱えない/自分の気持ちもわからない
といった、一連のコミュニケーション不全だった。
これは私が心の学びをする前にいた日常の世界より、もう一段深いレベルでのコミュニケーションの話になる。
それまでの日常では、役割(母・父〜我が家が母子家庭だったため・営業マン・etc)をしっかりこなして、そこで人とつながっていれば事足りていた。
「じゃあ人の気持ちを受け取っちゃうと何が起こるの?」
あやさんに促されそれを感じてみる。入り切る前にまた私が何か喋り出すと「いいから今は受け取った感じを感じてみて」と引き戻される。
胸のあたりを横一文字に、そして背中全体にかけてザワザワとした「細胞が落ち着かない感覚」が走って、とても居心地が悪い。それを伝えるとさらにその「居心地の悪さ」に留まるようにとあやさんは言う。普段ならとっくに抜け出しているところだが、何とか感じ続けていくと…
胃から下の内臓が、腐って溶けて流れ出した感覚がした。
なんとも不快、いたたまれない。
人のそして自分の気持ちを感じることは、この不快さと正面から向き合うことだった。
それを感じたくなくて、無意識の防衛〜質問に答えず突然別の話題を持ち出す・カウンセラーの目を見ない〜をしていたのか。
実際このセッション中にもあやさんから何度も「質問に答えてね」「私が言ったことを受け取ってもらえてない感じがする」とも言われた。
カウンセラーも、セッション内での自分の気持ちに気づくことが大切と言われている。
これを「自己一致」という。
のちにあけみちゃんが、このセッションを振り返ったときにここから流れが変わった、と言っていた。
3日目−2:コアビリーフができた理由とそのメリット
「(気持ちを)感じない」事はかつては自分にとってはメリットだったんだろう。
ただ心の深いレベルではそれはデメリットになる。
このビリーフがなぜできたのか。
デメリット出しが終わり、メリットがある程度出たところであやさんが言った。
小さいみっちゃん(=私)にとって、なぜお母さんから欲しいもの(関心・愛情)がもらえないのかは、訳がわからず謎だった。それを感じると居心地が悪いのでその理由をずっと探していた。
そこにこの「私は母に大切にされない子だ」を持ってくると、すっきり理由として当てはまり納得がいく、これが第一のメリット。さらに原因が自分にあるので、自分が努力すればなんとかなるかもしれない、と思って「努力は一筋の希望になる」のが第二のメリット。と。
これって…
講座開始前にあやさんからリンク貼ってもらった予習動画の「自己否定コアビリーフの作り方」に出ていた話だ。
小さな子供は親との関係性で不都合や不可解なことを感じると、「自分が○○だから親は〜なのだ」と自己定義を作って納得させる。かくして「私は○○(な存在)だ」というコアビリーフが出来上がる。それは物事の解釈や行動の規範となって、いつの間にか自分と一体化してしまい、ビリーフがあることにすら気づかなくなる…
そのまんま教材通りのことをやっていたわけだ。年端も行かない子供の幼稚だけれどけなげな「生存戦略」…「私の理由にすることによって、この現実を受け入れ”生き延びる”」
あやさんがみんなの方に顔を向けて言う。
「「これコアビリーフのメリット、全員一緒ですみんなもらえてない私の現実に”なぞ”と”不足感”、これをちっちゃい子はみんな持つのね。その時に理由を探すんです。それを自分の存在のせいにするんです。…これがコアビリーフの最初、作り方。…あともう一つメリットがあります。子供は全部自分に矢印を向けるのね、そうすると親に矢印を向けずに済む、怒りを向けずに済む…これみんな普遍的にそうです。」」
実を言うと、このメリットについては当日はよくわからなかった。
2週間が経過し、さらにこの文を書くために、講座参加者の学びのためのセッションの動画と板書の記録を見返して、ようやく「こういうことか」と腑に落ちている。
3日目−3:ビリーフから離れた自分そして時にリセットワークは外科手術
あやさんがさらに続ける。
こうやって努力して、あれもこれも、子供のみっちゃんはやって来たね…
「じゃあ今、ここまで学んできた大人の私としてね、あのお母さんがああいう人だったのは…受け止めることはできるかな?
頭では理解できる。
昭和一桁生まれの母は7人兄弟の3女として生まれた。男子は6番目だけ。
母方の祖母も3女か4女だと叔父に聞いたので、おそらくこの時代によくある家父長制度の残渣「また女か」の中を生きて来たのだろう。現に母方の祖母は孫の中でも「長男の長男」を特別視しているように感じる出来事もあった。
そんな環境では、母も「私は母に大切にされない子だ」を抱え、「大切にされるように」役に立つ人間になるようがんばって来たのは容易に想像がつく。
「…たぶん情緒的な関わりをお母さんもあんまり知らないと思うんだよね…受け取ってもらったとか…お母さんも感情に触れるとかが好きじゃなかったのかも知れないし、苦手だったのかも知れないし…それみっちゃんと同じだよ」
そんな気がする。
そして自分がもらえなかったものは、人に与えられない。
母もまた、感情を扱うのが苦手で、相手の感情を受け止めることができない人だったのだろう。
いつも毅然とし、ほとんど声を荒げることもない。情緒的なやりとりはあまりなかった。
「私のせいじゃない」
「私が「大切にされない子」だからじゃない」口に出して言ってみる。
そう、もともと「情緒でつながる」ことがわからない人だった。その人が私の母親になった。
私も同じように「情緒のやりとり≒気持ちのキャッチボール」ができない人になっていた。
「これ今切り離しました。ビリーフをこうやってまとっている限り、『いつもお母さんの態度は私がこうだから』って、母と私をへその緒でつないでいる事になる、今ここを切った。
お母さんはもともとそうでした、私はただ生まれて来ただけでした、それだけ。」
いつの間にか自分が静かになっている
「いま何が訪れてますか?」とあやさんに聞かれ、「家族の座」を椅子で置いた時、いつも母の椅子だけ離れて外を向いていたのは、情緒的なつながりの中に入れない人だったんだろうなあ、と答える。
「体感はどうですか?…緩んでないですか?…いまエネルギーがすーっと落ちてってる、落ち着いてるね」とあやさんが言った。
私にとって「大切にされる」とは
正面から向き合って、本当の想いをぶつけ合い、言い切ったあとは相手の背中を叩いて、勇気づけ応援する、そんな関係性だったように思う。
それはこの母親に求めても、得られない。
頭ではわかっていたが、この時初めて首から下〜ハートや肚で理解でき、納得した。
あやさんに促され、このビリーフ「私は母に大切にされない子だ」と言う考えがない世界を想像してみる。
そうしたら
外側にあちこち飛ばしていた思考や感覚が、すーっと自分の内側に入ってきて中心で一本の線に収まる。その白い光が樹の幹のように太くなり、下へと向かってしっかりと根を張る感覚があった。
グランディング
これが本来の自分の姿だ
カウンセラー役をこなすために、トレーニングで自分の中に”こさえた”と思っていたが
もともと自分の中にあったのだ
ここまでで1時間40分と、あやさんにしては時間がかかったセッション。
それは自分が何度も話を無意識に外らしたり、質問に答えなかったりして、あの「胃から下の内臓が、腐って溶けて流れ出した感覚」を感じないように、潜在意識で”逃げ回って”いたのだ。
顕在意識=自覚している部分では「逃げるなんぞとんでもない」と思っているにもかかわらず…。
あやさんは「ビリーフをまとう」と表現した。
私も「メガネを掛ける」「色付きのビニール袋を頭からかぶる」とよく言っていた。
いずれも自分の外に身につけているものだが、本人はそれをまとっている自覚がない。
ただ今回のビリーフ「私は母に大切にされない子だ」は背骨に食い込んでいた。
それをあやさんが外科手術で取り除いた。
さらに手術痕を丁寧に縫合したのが、置き換えワークカウンセラー役のKさんと、参加し見守ってくれたみんなだと思っている。
実際、講座が終わった直後から一週間は麻酔が冷め切らないような感じで、ぼーっとしていた。人の言葉や物事に触れた時の感覚が、微細に変わっているのをただ感じていた。
「何がどう変わった」とはまだ言葉にできない。
10日ほど過ぎてから、ようやく3日間の体験・感覚を言葉にできた感じだ。
ただ言葉にすることでこぼれ落ちるものや、他にも大きな気づきがあったが文章がまとまらずにここに書かなかったこともある。
セッション前半へのあけみちゃんのフィードバック、さらには午後からの受講生Kさんによる、ビリーフリセット後半の置き換えワークでも、大きな気づきや視座の転換が起こった。
が、ここでいったん筆を置くことにする。
この3日間で徐々に浮かび上がってきたビリーフ、そして「感じたくない感情や感覚」を思い出しながら文章を綴るのはけっこうエネルギーを使う作業だった。
いずれ今回書けなかったことも、文章に残しておこうと思っている。
「術後の経過」も踏まえながら。
今は、伏線も含めて関わってくれたみなさんにただ感謝です。
(いずれその3に続く…たぶん)
岡部明美さん/LPL講座についてはこちら
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