ニュースキャスターが、被災地へ飛び、復興の現状を伝えている。
それぞれの記憶がFacebookで語られる。
奇しくもあの時と同じ金曜日。
あの時の大きな喪失を前に言葉はない。
そして、それは未だ終わってはいない。
震度5強の揺れで電車は停まり、駅のシャッターは閉ざされ、不気味な静けさがもたらした「この街は死んだ」という感覚。
そして爆発を起こした原発から、雨雲に乗ってやってきた放射性物質が降り注ぎ、「ホットスポット」として報道された我が町。
かつてプログラマーとして原発の設計をしていた身内からは「子供たちは愛知の親戚に避難させたらどうか」と電話がかかってきた。
あの時、何かが自分の中で壊れた気がした。この感覚は今もあり続ける。
生きたかった命に鎮魂の祈りを。
未だ暮らしの再建に向けて闘う人達に応援の祈りを。
そして、生きていることの奇跡に感謝の祈りを。