michynoteの日記

ファイナンシャル・セラピスト。 大手証券会社で約20年間営業を経験、 別の証券会社にて調査部経験もあり。 CFP®︎認定者。 傾聴とトランスパーソナル心理学のメソッドを用いて、あなたのモヤモヤをクリアにします。

2023年はひとつひとつの体験を味わい"今ここ"を感じる年に

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新しい年もあっという間に1ヶ月が過ぎた。

以前も書いたが、自分の中では旧暦で動いているので、立春(2023年は2月4日)から新年が始まることにしている。「手帳もくもく会」と称して他の方と一緒にオンラインでウィッシュリストや年間プランを作成したり、週末は何故かほぼワークショップで埋まったり、家族の用事で一日中動いていたり、という日々だった。

 

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いろいろな所で気付かされたのだが、どうも自分は他人に意識を飛ばして(一般的には世話を焼くとかフォローするとか)、自分のことはつい後回しにするクセがある。おのずとエネルギーも他人に向ける方が多いし、出やすい。自分に対するエネルギーの通り道が錆びついて?いるんだろうか….。

 

そして気忙しいのは相変わらずだ。いつも先々のいろんなことを気にかけているので、中小のタスクはそれなりに処理できるが、大きなタスクがほぼ手付かずに残っている。

よく「あれ?あの日何してたんだっけ?」みたいなことがあるが、そういう意識の使い方をしていたらそうなるよね。

 

今年の目標は

ひとつひとつの体験を味わい"今ここ"を感じる

ことにしよう。

4年前は「感じる?なにそれおいしいの?」みたいなことを言っていた自分だったが、こころの学びで少しはマシになったらしい。

 

「スピード感を持って仕事する」ステージはもう充分やってきた。

これからは多少ペースは落ちるけれど、ゆっくり味わい尽くし、感じていくステージなんだろうな。

 

 

年越し雑感2022→2023

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2022年もあと30分。

やはり今年も紅白歌合戦を見ながら…

 

昨年の今日

「クリスマス前まで学びの宿泊研修に参加していたせいだろうか。受講生だった前回とは違って、今回はスタッフとしての参加だった。7ヶ月間を振り返るといろいろな思いが交錯する。」

と書いた。

「前回」が「前々回」に変わったこと以外はそっくり同じだ。

 

心の学びの中で、様々なプロセスを経て、一人ひとりが「本来の自分」の花を咲かせていく…それを間近で感じて微力ながらもサポートすることができたのは、なんとも貴重な経験だった。

 

それも今回でおしまい。

 

次のことは年が明けてからゆっくり考えよう。

 

 

残りひと月の雑感〜2022

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バタバタとしていたらあっという間に、今年もあと1ヶ月となった。

相変わらず抱えているタスクは大小様々なのだが、意外と焦る気持ちがない。

(いや、焦ろよ、という頭の中の声がするけれど)

 

なるようになる

そうか、あまり不安がないのだ

 

今、必要なことに自分のリソースを費やす

そうしている自分を俯瞰して観ているもう一人の自分がいる

 

もちろん至らない所やどうしようもない所もたくさんあるのだが

それも含めて全部自分だ、というのも受け入れている

単なる「開き直り」とは違う、静かで確かな感じ

 

これはなんだろう?

 

考えるのは年末まで駆け抜けたあと

美味い酒を嗜みつつ、過ぎた年と共に振り返ればいい

 

今はただ「その感覚」をただ感じている

準備が大事か先手を取るか

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7月最後の週末は、日本プロセスワークセンターのLSV(ライブ・スーパー・ビジョン)の講座を受けている。

要はプロセスワーク(トランスパーソナル心理学のひとつ)のメソッドを用いてセッションを行い、それをファカルティ(先生、でしょうか)からスーパーバイズつまり指導・評価を受けるというもの。土日で計10枠のセッションができるとのことで、自分は1日目は様子見で、2日目にレジュメを見直してセラピストをやればいいと思っていた。

 

ところが同期のみんなは「早くやった方がスッキリするから」と、初日の枠を選択する人が多い。

 

あれ?

前も似たようなことがあったな…

 

コロナウイルスがあれよあれよと言う間に猛威をふるい出して、全国的に初めての緊急事態宣言が出された2020年春。

とある認定試験が時期を3回に分けて行われたのだが、自分は一番最後の3番目の日程を選んだ。その方が準備に時間をかけられるからだった。

 

だがその最終日程だけが、緊急事態宣言に引っかかり2ヶ月の延期を余儀なくされた。他の日程の受験者はすでに試験を終えて結果待ちという中「仕方ないので、最終日程の受験者の方々は来年に」と言われやしないかと、ヒヤヒヤしたことを思い出す。

 

そんな話を同期として「まあどちらが良いとかは言えないよね」となったのだが…

 

その日の夜。

日付が変わった深夜に枕元の携帯電話が鳴る。なんと次女から「脱水症状らしく都内の病院に救急搬送されている」というのだ。驚いたけど自分で電話しているし「このあと病院から電話が入るかもしれないから」とのことで、安心と不安が半々の状態で通話を終えた。

 

…寝られないじゃない…

 

結局、病院で点滴等適切に処置していただき、3時半頃タクシーで帰宅したとメールが届いた。当然だがその日は会社は休むとのこと。

 

やれやれ一安心。

講座2日目も無事受講できる。

だがこれがもしそのまま入院となっていたらどうだったか。

当然2日目の講座はキャンセルとなり「ああ昨日のうちにスーパーバイズ受けておくんだった」と、悶々としながら病院に向かっていたに違いない。

 

結論。

準備するのはもちろん大切だけど、予定通りいくとは限らない。

明日は、いや次の瞬間何が起こるかわからないのである。

 

いつでもチャンスがあればそれに乗る。

やれる時にやっておく。

そうできるよう、日頃から自分を整えておく。

(まあケースバイケースかもしれないが)

 

たぶんこれからは、先延ばししてはいられない時代なんだろうなあ。

 

感情を感じ切る。そしてその下の静寂に身を置く。

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まもなく5月が終わる。
3年ぶりに「行動制限のない」大型連休からのスタートだったこともあって、人々の動きも活発だったように感じた。相変わらず心痛むニュースが報じられてはいるけれど。


そんな中自分はというと、諸事情あったにせよほとんど動いていなかった。

ただ内面では、連休中の「ジャーニーワーク〜感情の旅」のワークショップへの参加を皮切りに「自分の感情を感じ切る」ことを、さまざまな機会を得てやっていた。

つい先日も、遠い過去の小学生の自分が巧妙に喪失の感情を見なくて済むように、無意識のうちに「カラクリ」を作っていたことがわかって驚いたばかりだ。

 


感情に溺れるのではなく、感じ切る。
それができて初めて「静寂」を感じ取れる。

いずれ一区切りついたら、
もう少し丁寧に言葉にしていこうと思う。

自己定義が作る「自分の世界」に気づく〜骨まで食い込んだコアビリーフを剥がしてみた(その2)

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3日目−1:「私は母に大切にされない子だ」


講座最終日。

少し早めに現地に着いて、会場近くの神社にお参りしてみる。

今日はメイン講師、大塚あやこ(以下あやさん)さんによるフルバージョンの公開セッション。

そのクライアントはー

 


なんと私だった。

 


半分びっくりしたが、半分は「ああやっぱりな」と言う気持ち。

前日の講義の終わり際に「もう明日のあやちゃんのクライアントは決まってますからね」と講座主宰の岡部明美さん(以下あけみちゃん)が言うと同時に、あやさんがちらっとこちらを見たからだった。もしかして隣の席の人か?とも思ったがやはり私だったか。

 


受講生の皆が扇型に囲む中、カウンセラーのあやさんと向かい合わせに座る。

一昨日から講座内で感じたり気づいたことを時間を追って話していく。

 


1日目に話した「早々に”相手にわかってもらうこと”をあきらめている」

2日目に感じた「凍りつきの体験」と「背骨まで食い込んだように感じるビリーフ〜私が思ったことを言うと人が傷つく」

 


前の日に取り上げた「私が思ったことを言うと人が傷つく」と言うビリーフは、話していくうちにだんだん薄まっていくように感じ、それをあやさんに伝えた。

ただその下に「凍りつきの体験」と結びついたコアビリーフ(自己定義)がありそうだが、もやもやしてはっきりしない。

それを探求していくことになった。

 


その2つの体験をさらに深めていく。

「その時どう感じたか。気持ちを言葉にするのが難しければ身体の感覚はどうか」あやさんが問う。

 


「わかってもらえない」がデフォルト。

それは3年前にASV(あけみ・スーパー・ビジョンの略。あけみちゃんの前でセッションし、スーパーバイズを受ける場)で、クライアントになった時に「お母さん、私の話を聞いて」が出てきたことを思い起こさせた。

 


「わかってもらえない」が起こった時の感覚を感じてみる。

肩から腕にかけて力が抜けていく。「やっぱり(わかってもらえない)」「どうせ」という言葉が出る前に「あー…」という感じ。それをあやさんのリードでさらに深めていくと、うなだれてどんどん自分が小さくなり、ついに「体育座り(ひざを抱えて座る)」で頭を下にしたまま、黒い箱の中に入っている子供になった。

 


黒とか、箱とか…一見ネガティブなイメージで、頭は「これでは引きこもりではないか、いかんいかん」と盛んに言うが、身体の感覚は意外と心地よい。何も感じずこのまま眠ってしまいそうな…”平穏な静寂“。誰もなにもしなくていい、ただこのまま寝かせてほしい…。

 


ああでもこの「黒い箱の子」は、母からは否定されていたなあ…

 


「居てはいけない」でもなく「愛されない」とも違う。どうでもいい存在…

たどり着いたビリーフの主文は「私は母に大切にされない子だ」だった。

 

 

 

ビリーフリセットで主文が決まると、「それは本当ですか?」と問われる。

「母に」の一語を入れただけで「95%以上の割合で本当です」と言う答えになった。

頭で「いやそんなことはないかも…」と考えるより先に、身体の感覚が「大切にされた感覚がどこを捜してもない」と言ってくる。

 


母からほめられた記憶がない。

叱られるというより、ため息を吐かれる。「みっともない」と言われる。

何をやれば/何を改めれば母が私に関心を寄せてくれるのか。

子供なりにあれこれ考えて試みていた時期もあったと思うが、何をやっても霧に向かってボールを投げ込むような感じだった。なのでかなり早い段階であきらめてしまったようだ。

 


次にこのビリーフを持つことのデメリットを挙げていく。

たくさん出てきたのだけれど、一番大きかったのは先ほどの、

デフォルトでわかってもらえない/わかってもらうことを早々にあきらめる/相手の事は考えずに自分の言いたいことを言う/相手の気持ちを受け取れない(=バットで打ち返す)/人の気持ちが入ってこない・わからない・扱えない/自分の気持ちもわからない

といった、一連のコミュニケーション不全だった。

 


これは私が心の学びをする前にいた日常の世界より、もう一段深いレベルでのコミュニケーションの話になる。

それまでの日常では、役割(母・父〜我が家が母子家庭だったため・営業マン・etc)をしっかりこなして、そこで人とつながっていれば事足りていた。

 


「じゃあ人の気持ちを受け取っちゃうと何が起こるの?」

あやさんに促されそれを感じてみる。入り切る前にまた私が何か喋り出すと「いいから今は受け取った感じを感じてみて」と引き戻される。

 


胸のあたりを横一文字に、そして背中全体にかけてザワザワとした「細胞が落ち着かない感覚」が走って、とても居心地が悪い。それを伝えるとさらにその「居心地の悪さ」に留まるようにとあやさんは言う。普段ならとっくに抜け出しているところだが、何とか感じ続けていくと…

 


胃から下の内臓が、腐って溶けて流れ出した感覚がした。

なんとも不快、いたたまれない。

 


人のそして自分の気持ちを感じることは、この不快さと正面から向き合うことだった。

それを感じたくなくて、無意識の防衛〜質問に答えず突然別の話題を持ち出す・カウンセラーの目を見ない〜をしていたのか。

実際このセッション中にもあやさんから何度も「質問に答えてね」「私が言ったことを受け取ってもらえてない感じがする」とも言われた。

 


カウンセラーも、セッション内での自分の気持ちに気づくことが大切と言われている。

これを「自己一致」という。

のちにあけみちゃんが、このセッションを振り返ったときにここから流れが変わった、と言っていた。

 

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3日目−2:コアビリーフができた理由とそのメリット

 


「(気持ちを)感じない」事はかつては自分にとってはメリットだったんだろう。

ただ心の深いレベルではそれはデメリットになる。

 


このビリーフがなぜできたのか。

デメリット出しが終わり、メリットがある程度出たところであやさんが言った。

 


小さいみっちゃん(=私)にとって、なぜお母さんから欲しいもの(関心・愛情)がもらえないのかは、訳がわからず謎だった。それを感じると居心地が悪いのでその理由をずっと探していた。

そこにこの「私は母に大切にされない子だ」を持ってくると、すっきり理由として当てはまり納得がいく、これが第一のメリット。さらに原因が自分にあるので、自分が努力すればなんとかなるかもしれない、と思って「努力は一筋の希望になる」のが第二のメリット。と。

 

 

 

これって…

講座開始前にあやさんからリンク貼ってもらった予習動画の「自己否定コアビリーフの作り方」に出ていた話だ。

小さな子供は親との関係性で不都合や不可解なことを感じると、「自分が○○だから親は〜なのだ」と自己定義を作って納得させる。かくして「私は○○(な存在)だ」というコアビリーフが出来上がる。それは物事の解釈や行動の規範となって、いつの間にか自分と一体化してしまい、ビリーフがあることにすら気づかなくなる…

そのまんま教材通りのことをやっていたわけだ。年端も行かない子供の幼稚だけれどけなげな「生存戦略」…「私の理由にすることによって、この現実を受け入れ”生き延びる”」

 


あやさんがみんなの方に顔を向けて言う。

「「これコアビリーフのメリット、全員一緒ですみんなもらえてない私の現実に”なぞ”と”不足感”、これをちっちゃい子はみんな持つのね。その時に理由を探すんです。それを自分の存在のせいにするんです。…これがコアビリーフの最初、作り方。…あともう一つメリットがあります。子供は全部自分に矢印を向けるのね、そうすると親に矢印を向けずに済む、怒りを向けずに済む…これみんな普遍的にそうです。」」

 


実を言うと、このメリットについては当日はよくわからなかった。

2週間が経過し、さらにこの文を書くために、講座参加者の学びのためのセッションの動画と板書の記録を見返して、ようやく「こういうことか」と腑に落ちている。

 

 

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3日目−3:ビリーフから離れた自分そして時にリセットワークは外科手術

 

 

 

あやさんがさらに続ける。

こうやって努力して、あれもこれも、子供のみっちゃんはやって来たね…

「じゃあ今、ここまで学んできた大人の私としてね、あのお母さんがああいう人だったのは…受け止めることはできるかな?

 


頭では理解できる。

昭和一桁生まれの母は7人兄弟の3女として生まれた。男子は6番目だけ。

母方の祖母も3女か4女だと叔父に聞いたので、おそらくこの時代によくある家父長制度の残渣「また女か」の中を生きて来たのだろう。現に母方の祖母は孫の中でも「長男の長男」を特別視しているように感じる出来事もあった。

そんな環境では、母も「私は母に大切にされない子だ」を抱え、「大切にされるように」役に立つ人間になるようがんばって来たのは容易に想像がつく。

 


「…たぶん情緒的な関わりをお母さんもあんまり知らないと思うんだよね…受け取ってもらったとか…お母さんも感情に触れるとかが好きじゃなかったのかも知れないし、苦手だったのかも知れないし…それみっちゃんと同じだよ」

 


そんな気がする。
そして自分がもらえなかったものは、人に与えられない。

母もまた、感情を扱うのが苦手で、相手の感情を受け止めることができない人だったのだろう。

いつも毅然とし、ほとんど声を荒げることもない。情緒的なやりとりはあまりなかった。

 


「私のせいじゃない」

「私が「大切にされない子」だからじゃない」口に出して言ってみる。

 


そう、もともと「情緒でつながる」ことがわからない人だった。その人が私の母親になった。

私も同じように「情緒のやりとり≒気持ちのキャッチボール」ができない人になっていた。

 

 

 

「これ今切り離しました。ビリーフをこうやってまとっている限り、『いつもお母さんの態度は私がこうだから』って、母と私をへその緒でつないでいる事になる、今ここを切った。

お母さんはもともとそうでした、私はただ生まれて来ただけでした、それだけ。」

 


いつの間にか自分が静かになっている

「いま何が訪れてますか?」とあやさんに聞かれ、「家族の座」を椅子で置いた時、いつも母の椅子だけ離れて外を向いていたのは、情緒的なつながりの中に入れない人だったんだろうなあ、と答える。

「体感はどうですか?…緩んでないですか?…いまエネルギーがすーっと落ちてってる、落ち着いてるね」とあやさんが言った。

 

 

 

私にとって「大切にされる」とは

正面から向き合って、本当の想いをぶつけ合い、言い切ったあとは相手の背中を叩いて、勇気づけ応援する、そんな関係性だったように思う。

それはこの母親に求めても、得られない。

頭ではわかっていたが、この時初めて首から下〜ハートや肚で理解でき、納得した。

 

 

 

あやさんに促され、このビリーフ「私は母に大切にされない子だ」と言う考えがない世界を想像してみる。

 


そうしたら

外側にあちこち飛ばしていた思考や感覚が、すーっと自分の内側に入ってきて中心で一本の線に収まる。その白い光が樹の幹のように太くなり、下へと向かってしっかりと根を張る感覚があった。

 


グランディング

これが本来の自分の姿だ

カウンセラー役をこなすために、トレーニングで自分の中に”こさえた”と思っていたが

もともと自分の中にあったのだ

 


ここまでで1時間40分と、あやさんにしては時間がかかったセッション。

それは自分が何度も話を無意識に外らしたり、質問に答えなかったりして、あの「胃から下の内臓が、腐って溶けて流れ出した感覚」を感じないように、潜在意識で”逃げ回って”いたのだ。

顕在意識=自覚している部分では「逃げるなんぞとんでもない」と思っているにもかかわらず…。

 


あやさんは「ビリーフをまとう」と表現した。

私も「メガネを掛ける」「色付きのビニール袋を頭からかぶる」とよく言っていた。

いずれも自分の外に身につけているものだが、本人はそれをまとっている自覚がない。

 


ただ今回のビリーフ「私は母に大切にされない子だ」は背骨に食い込んでいた。

それをあやさんが外科手術で取り除いた。

さらに手術痕を丁寧に縫合したのが、置き換えワークカウンセラー役のKさんと、参加し見守ってくれたみんなだと思っている。

 


実際、講座が終わった直後から一週間は麻酔が冷め切らないような感じで、ぼーっとしていた。人の言葉や物事に触れた時の感覚が、微細に変わっているのをただ感じていた。

「何がどう変わった」とはまだ言葉にできない。

10日ほど過ぎてから、ようやく3日間の体験・感覚を言葉にできた感じだ。

ただ言葉にすることでこぼれ落ちるものや、他にも大きな気づきがあったが文章がまとまらずにここに書かなかったこともある。

 

 

 

セッション前半へのあけみちゃんのフィードバック、さらには午後からの受講生Kさんによる、ビリーフリセット後半の置き換えワークでも、大きな気づきや視座の転換が起こった。

が、ここでいったん筆を置くことにする。

この3日間で徐々に浮かび上がってきたビリーフ、そして「感じたくない感情や感覚」を思い出しながら文章を綴るのはけっこうエネルギーを使う作業だった。

 


いずれ今回書けなかったことも、文章に残しておこうと思っている。

「術後の経過」も踏まえながら。

 

今は、伏線も含めて関わってくれたみなさんにただ感謝です。

 


(いずれその3に続く…たぶん)

 

 

 

岡部明美さん/LPL講座についてはこちら

http://okabeakemi.com

 

 

 

大塚あやこさん/ビリーフリセット協会についてはこちら

breset.jp 

kiyonedo.jp 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

自己定義が作る「自分の世界」に気づく〜骨まで食い込んだコアビリーフを剥がしてみた(その1)

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2022年3月4〜6日、都内で行われたLPLマスターコース・ビリーフリセットの講座に参加した。講師は一般社団法人ビリーフリセット協会代表理事/心理コンサルタントの大塚あやこさん(以下あやさん)、コーディネーターはLPL(ラビング・プレゼンス・リーダーシップ)講座主宰のセラピストの岡部明美さん(以下あけみちゃん)。

この講座はLPL講座の修了生が対象。自分はここで学んだ心理カウンセリングのスキルをさらに上げる目的で参加していた。

 


ここで予想外のことが起こった。

ただ振り返ると、数ヶ月前からいくつかの伏線はあって、それが一気に回収された感じだった。

 

 

 

1日目:伝わらない受け止めないコミュニケーションの謎


この講座はレクチャーよりも受講生同士のワークを中心とした実践的なものとなっていた。

ミニワークの後「15分間クライアントの話を傾聴したのち、そのビリーフを特定する」というワークをグループで行なう。自分はクライアントになった時に、コミュニケーションのあり方について考えていることを話した。

昨年秋、それこそLPL講座内での出来事だった。自分はアシスタントとして参加しており、グループセッションでのワークとして、クライアントさんとキャッチボールをしていた。

室内ということもあり、軽く手首のスナップだけで取っては投げ、を繰り返していたのだが、相手の方が「すみません、もっとしっかり受け止めてください」と言ったのだ。

言われた瞬間は「えっ?」と思ったが、取った球を一旦両手で胸元に引き込み、一呼吸置いて投げるように変えてみた。この時もテーマが「コミュニケーション」だったように思う。

実際の自分のコミュニケーションのパターンがまさにこの通りだ。

ちゃんと相手の言ったことを受け止めずにすぐ(投げ)返す。ひどい時は来た球をバットで打ち返すようなことをしている。

しばらく経って「そもそも相手に伝えようと思っていない。自分の言いたいことを言いたいように言っている(=投げたい球を投げたいように投げている。相手が取れるかは気にしない)」のに気づいた。

けれども相手が受け取れないと「わかってもらえない」が発動していた。そこにフォーカスしていくと、かなり早い段階で「相手にわかってもらう」のを「あきらめていた」感覚がある。

 


それと並行して「浅い/深い」…自分がカウンセラーあるいはセラピストとして日常の意識よりさらに深い領域を扱う時、深いところへ降りられない、ということを感じている。

さらに「さびしい」という感情や、深い意識での「(心が)痛い・傷つく」という感覚がわからない、ということを話し、傾聴してもらった。


そこへLPL主宰のあけみちゃんが、スーパーバイズ(カウンセリングに対してアドバイスすること)に入ってきた。

カウンセラー側に「『コミュニケーション』『伝わらない』『浅い・深い』って何度も出てきているのを、ちゃんと取り上げなきゃ。ただ漫然と聴いていてもだめ」とあけみちゃんは伝える。その語り口はいつもにも増して熱を帯びて聞こえ、自分はその熱さを意外に感じた。

自分としては、カウンセラーの方にちゃんと受け止めてもらえていると思っていたのだ。

 


なんでこんなにいつもよりさらに熱を帯びているのか…その理由は2日後にわかる。

 

 

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2日目:まさかこの私に「凍りつき体験」があったとは

 


2日目は受講生どおしのセッションからスタートした。

それを受けての別の受講生のリアクションから、急遽その方をクライアントとして、メイン講師であるあやさんの公開セッションが始まった。このライブ感がリアル講座の醍醐味だろう。

そこで出てきたビリーフは

「私が思ったことを言うと人が傷つく」だった。

 


ホワイトボードに書かれたその文章(ビリーフの主文)を眺めているうち

「ああ、これは自分にもあるなあ」と感じた。

ただ起こしたリアクションはその人とは真逆だった。一体何があるんだろう…

 


次はペアワークで「防衛ビリーフ(行動とその結果)」を扱うこととなった。

先ほどの「私が思ったことを言うと人が傷つく」を取り上げて探求してもらう。

ビリーフリセットには一定の型があり、それもこの講座内でさらに進化している。

 


ワークの途中で一つのイメージが浮かんだ。

現実の記憶なのか単なる心象風景なのかはわからない。でもリアルな体感はある。

場所は都内、某メーカーの社宅。2〜3歳の自分が夜遅くに目覚めて、布団から起き出し電気のついている茶の間に行こうと、ふすまに手を掛ける。

その瞬間、動けない。声も出せずに「凍りつく」

ふすまの向こうで向かい合っている父と母。何か静かに話していたかも知れない。

そこに何か得体の知れない「冷たいエネルギー」があって、入れない。

 


ポリヴェーガル理論でいう「凍りつき」とは厳密に言えば違うのだろうが、実際にトラウマ体験があった友人から聞いた体感覚に似ている。身体の中〜背骨から冷えてきて寒気が止まらず、自分ではどうすることもできなくて他の人に暖めてもらった。自分は昨年秋に同じような体験をしたが、その感覚がまたよみがえってくる。

 


まさか私が「凍りつく」なんて。

 


従来、人間の防衛反応は交感神経優位の「戦うか逃げるか」のどちらかだとされてきた。

しかしポリヴェーガル理論によれば、副交感神経による「不動化」すなわち「凍りつき」の防衛システムがあるという。

心の学びを始めて、自分はほぼ100%「戦う」タイプの人間だと思っていたし、周囲からもそう見られていた。「攻撃は最大の防御なり」を座右の銘にして、「凍りつき反応」をする人を見かけた時は「ほらほら、そんなんじゃやられちゃうよ」とハッパをかけていた。

その私がねえ…まさか凍りつくとは。

 


ワーク自体は丁寧に寄り添って進めてもらった。

後半で「このビリーフはこれからも持ち続けますか?」と問われる。

ビリーフリセットのワークは、カウンセラーとしてもクライアントとしても、そこそこの数はやってきた。が、この時は

 


いつものように、頭で「要るか要らないか」を判断できるものじゃない。

このビリーフは背骨の中まで食い込んでいるような気がした。

カウンセラー側にそう伝えて、2日目のワークを終えた。

 

 

 

                           (その2に続く)

 

 


ポリヴェーガル理論について。

適当なサイトが見つからなかったので、参考にした書籍『ポリヴェーガル理論入門』(春秋社)のリンクを貼りました。ご参考まで。

https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393365540.html

 

 

 

 


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