michynoteの日記

ファイナンシャル・セラピスト。 大手証券会社で約20年間営業を経験、 別の証券会社にて調査部経験もあり。 CFP®︎認定者。 傾聴とトランスパーソナル心理学のメソッドを用いて、あなたのモヤモヤをクリアにします。

年越し雑感 2021→22

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この年は年末感がなぜかあまりない。

 

クリスマス前まで学びの宿泊研修に参加していたせいだろうか。受講生だった前回とは違って、今回はスタッフとしての参加だった。7ヶ月間を振り返るといろいろな思いが交錯する。

 

そうして「2021年を振り返る」もまとまらないまま、紅白歌合戦もフィナーレだ(笑)

 

無理に言葉にするのはやめておこう。

湧き上がるものを自然な形で紡いで行けばいい。

 

「流れに委ねる」

「外へと散らかさずにあえて内側にとどまる」

 

新しい年はこれで行こうと思っている。

10月最後の夜に思うこと

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「夏が終わった」と書いた途端に、30度近くまで気温が上がった10月の初旬。それでも季節は進んで、すっかり秋が深まった。

 


少しずつ人々も動き出して、リアルで会う機会も増えた。でも首都圏以外の友人と話すと、都会より戻るスピードは緩やかとのこと。

 


10月最後の週末は、図らずも言葉にならない微細な感覚や見えない世界を、オフラインそしてオンラインの講座で

身体に染み渡らせながら、そこに留まって過ごしている。

 


明日から11月。

2021年もあと2ヶ月、61日。

 


スケジュールはまたてんこ盛りになりそうだけど、しっかりと日々を味わい、振り返る時間を取っていきたい。

 

夏から秋へと”浄化” が進む

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今日で9月が終わる。

今年の夏も完全に終わる。

それを確かなものにするかのように、月初から大型台風が近づいてくる。

今回は日本全土ではなく伊豆諸島・南関東辺りが大きく影響を受けるようだけど。

 


ところで、ここ数ヶ月自分も含めて体調を大きく崩していた人が多いように感じた。

それも普段はほとんど健康に問題のない人ばかり。

中には入院を余儀なくされ、重い症状に苦しんだ人もいた。

自分は謎の微熱と食欲不振で9月上旬をほとんど棒に振った。たまたま予定が全てオンラインだったのは幸いだった。

今も体調不良で病院に通っている友人もいる。

 


「季節の変わり目だし、夏の疲れが出たんだよ」

どうもそれだけでは済まない気がしている。

 


「浄化」

 


そんな言葉が浮かんできた。

 


あらゆる欲がなくなって、かわりに感謝の気持ちが溢れてきたと語ってくれた人がいた。

自分の場合は、今まで手放せなかったり、執着していたものを「もういいや、どうでも」と、諦めではなく置いていけるようになっていた。まだ少しずつ…ではあるが。

 


なんだか言葉にすると平板になってしまうなあ…

それ以前の「感覚」の話なんだけどなあ…

 


雑多なモノが溢れかえっている家を整理して、場合によっては手放して、

最低限の荷物で旅に出るような感じに似ている。

いろいろなモノを抱えていては、それこそ ”次のステージ”には辿り着けない。

 


そうした現象が同時多発で起こっているということは、やはり「世界のパラダイムシフト」につながっているんだろうか。

 

スローペースで味わい、感じ、留まる日々〜2021年7月を振り返る【日記】

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7月が終わった。

いつもだと、振り返ると「えーっもうこんな時期、時間が早い!」と思うのだが、今回は「まだ7月終わってなかったのか」という感じだ。


この感じ方の違いは何だろう?


1つには暑い日々が続くけれど、早朝に吹く風や空の雲に秋の気配を既に感じているから、というのもある(南関東の話)


ただ、内面的な話をすれば、これまで「すっ飛ばして」見えていなかった、微細な感覚や感情、思考の動きにその都度フォーカスしていくことを繰り返していたので、情報量が多くて整理できてない感じがある。それで時間の経つのが遅く感じられたのではないかなあ。


日付が変わった。今日から8月。

自分にとっても節目になる時だが、例年とはまた違った感覚で過ごしていくような、起こっていく一つ一つをさらに味わって行くような、そんな思いでいる。

 

 

 

真夏の「体育の日」〜東京オリンピック開会式の日に【日記】

 

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賛否両論、一年遅れの東京オリンピックが始まる。

開会式当日は「体育の日」が移動して祝日となった。


こんな暑い盛りに「体育の日」もないもんだ、とも思いつつ、日頃の運動不足解消も兼ねて、3キロほど離れた実家にウォーキングで行ってみることにした。


Google mapで最短距離の道を調べ、いつも車で通る道路から少し外れた住宅地の中を歩く。

 

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そこから開けて畑が見えてくる。

こんな風景があることも知らなかった…「日本の田舎の夏」という感じ。

 

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実家について、草取りや雑用をこなして、そのままバスで地元の駅に出て、夕飯のおかずを買って帰る…はずだった。


SNSを見たら、昼過ぎに都内でオリンピック開会式に合わせて、ブルーインパルスの飛行があるらしい。

今から行けばギリギリ間に合うかも…もしダメなら買い物でもすればいいか。


急遽電車に乗り、一番近いと思われるスカイツリー辺りへ向かう。

押上駅で降りてみたが…どうやら通り過ぎたあとらしい。

やれやれ。以前偶然青山あたりを歩いていたら、オリンピック絡みのブルーインパルス見かけたんだけどな。

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気を取り直して、一駅先の錦糸町に出て、買い物と遅いランチ、ウインドーショッピングなどして、開店直後の馴染みの炉端焼きの店に行く。

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夜の開会式テレビ中継に間に合うようにサクッと一人飲み。

いつも食材の美味しさを活かしたメニューは裏切らない、満足。

 


本来ならもっと高揚感を感じられたのだろうけど、ごくごく普通の夏の休日だった。

「中途覚醒」とどう付き合うか〜良質な眠りを得るための試行錯誤

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ここ2週間ほど、中途覚醒に悩んでいる。

寝ついて2〜3時間ほどで目が覚めてしまい、そこからまた2〜3時間寝付けず、時にはそのまま朝まで起きるほど。こんな日が10日ほど断続的に続いていた。

それ以前は、ある金融系の資格試験を受けるため、その勉強を一日2〜6時間行っていた。特に試験の1週間前からは、判で押したように0時〜5時の5時間睡眠となっていた。少し不足気味だったらしく、2度ほど昼寝もしたのだが、リズムとしては整っていたと思う。

それが試験が終わった途端に、中途覚醒で乱れている。

普通なら、気がかりな試験が終わりリラックスした状態で、ゆっくり寝られると思うのにいったいこれはどうしたことか。それと以前なら夜中に起きてしまっても、ベットで読書すると決めていて、積読本の解消にも役立っていたのに、今回は目が疲れてしまっていて開けられない。無為に悶々と「眠りたいのに眠れない」時を過ごすのは本当に耐えがたい。

 


なぜこうした中途覚醒は起こるのか


まず思い当たるのは、季節要因〜日照時間の変化との関係だ。

数年前から24時間バーティカル型(縦に時間の目盛りがついている形式)の手帳を使って、できるだけ睡眠時間を記録している。すると春分の日の2週間前あたりから、中途覚醒で睡眠時間が不規則になってくる。これは自覚があったがもしやと思って、過去6月の睡眠時間がどうなっていたか調べると…案の定、第二週あたりから、不規則になっていた。

夏至を前にして日照時間が伸びてくるのがこの時期だ。ちゃんと測ったことはないが、1日あたりの日照時間の伸び方が大きいのだろうか?あるいは体感でそれを強く感じるとかなんだろうか。

 


次に頭の疲労と体の疲労のアンバランスも大きな要因かと思う。

受験した資格試験は、午前と午後それぞれ3時間半の筆記で行われる、かなりハードなものだった。直前の時期は模擬試験のように、同じ時間帯で過去問を解いていた。内容もそれなりに歯応えがあるので、頭の方は相当疲れていたように思う。身体の方は座りっぱなしで、それはそれで疲れていたのかも…

それが試験が終わったとたんに、頭は緩みっぱなし、身体はそれまで我慢していた分あちこち出歩いたりしたので、前とは違う形で疲れている。なので

「身体は疲れているが、頭は疲れていない」状態だったのだろう。眠れないが、起きて何かをするには身体がしんどいし、眼は漫画や動画の読みすぎ見過ぎで、それなりに酷使していて夜中は開いていられなかった。

意識だけが変に覚醒した状態だったんだと思う。

 


あとは、潜在意識の領域で何か気になることがあって、心配になって?起きてしまうというか…。

実際、そういうこともあったが、今回は「試験が終わったらリラックスする!」と決めていたのでそれはないと思っている。とはいえ自分ではわからない深い領域では「あれもやらなくちゃ、これもやらないと…」みたいに思っていたのだろうか。だとしたら、どれだけ心配性なんだ、自分の潜在意識(笑)

 


最後に、まだ未検証だが食事の量と睡眠時間の関係について記しておきたい。

最近友人から「食事の回数を1日2食から1日1食ににしたら、消化にエネルギーを使わないので睡眠時間が短くて済む」という話を聴き、食事の量と睡眠の関係について初めて知った。

自分も3月にファスティングをしてから1日2食である。正確にいうと朝は三年番茶と梅干一つ、一仕事終えてからコーヒーとクッキー1枚等ちょっとした甘味で間食を取る。昼食と夕食は普通に食べているが、全体的に量も減ったので、そもそも前ほど睡眠時間も必要でないのかもしれない。理想は7時間睡眠としていたのだが、それはこれから要検証、といったところだ。

 

 

 

ファスティング関連の記事はこちら。

この時点から、今はさらに2キロ痩せ、目標体重まであとちょっとのところに来ている。

https://www.mi77.jp/entry/2021/04/11/223231

 

おわりに


さて、つらつらと書いてはみたが、要は「自分の身体の声を聴く」ことなのだ。もちろん、数々の研究データから一般的に「望ましい睡眠の質と量」は示されているけれど、個人差はある。

 


自分が心地よく感じているのか、そうでないのか

 


この感覚を大切にして諸々取り組んでいきたい。

ただ哀しいかな、自分も含めて現代人は頭の声=思考・意思の声があまりにも大きすぎる。身体の声は微細で、それに気付くのには少しだけステップが必要なんだろうな。

 


これからは少しずつ身体の声に耳を傾けて、「自分にとってのベストな睡眠」を追求していきたい。

 

 

 

🍀お金の不安をゼロにするファイナンシャル・セラピスト、河野道子です。

   個人セッション受け付けています。詳しくはこちらから↓

 


http://www.mi77.jp/entry/2020/05/31/133211

 

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「内なる子供」とともにあること

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1ヶ月ほど前のこと。SNSである投稿が目に留まった。

 

 

"ある程度大人になった段階で

一度はインナーチャイルドに向き合い

処理することってすごく大事。

 


「インナーチャイルドほったらかし」が

自分だけじゃなく周りにとっても

迷惑・トラブルの元。

 


近未来、インナーチャイルド処理が

ムダ毛処理と同じくらい

当たり前になればいいのに🤣

 

え?やってないの⁉︎みたいな🤣 "

 

 

「イイね!」や同調するコメントも多く書かれていたのだが、自分は何か引っかかるものを感じていた。

なんだろう…

「インナーチャイルドに向き合」うことが「すごく大事」なのは、私もここ数年心理学の講座に通った中で、いやと言うほど思い知らされているのに。

 


しばらく考えて思い当たった。

「処理」という言葉が引っかかっていたのだった。

 

インナーチャイルドは「処理」すべき対象か

 

この文章の書き手はカウンセラーである。

おそらく趣旨としては「インナーチャイルドに向き合うことはすごく大事。それをカジュアルにやれればいい」ということなのだろう。それにはなんの異論はない。むしろ大いに賛成だ。

インナーチャイルドが持つ、実際に自分が子供の頃に抱いた「未完了の感情」や「思い込み=ビリーフ」が、大人として生きる現実に不都合な作用を及ぼすことは、結構多いのだから。


ただ「処理」という言葉からは
「なくす」「排除する」というイメージを受けてしまう。「ムダ毛処理」への例えもそのイメージを強化する。

 


インナーチャイルドは ”排除すべき存在”  なのだろうか?

”消えてなくなる”のがいいことなのだろうか?

 

共に居る/在ることで自然と統合していく


では、インナーチャイルド(内なる子供)とはどう関わっていけばいいのだろう。

 


私は「共に居る」「共に在る」こともできると感じている。

実際の周りにいる小さい子供に接していくことを想像してみよう。
この子の話をただ聴く。この子が心地よいと感じているものを一緒に体験する。

 


やがて「子供」が満たされて納得すれば、自然と「今の大人の自分」に統合される。
表面上は「消える」ことになる。

 


かつては私も「早く(インナーチャイルドが)成仏してくれないかな」と思っていた。
2015年頃から断片的に、さらにここ2年ほどしっかりと向き合う中で、複数の「子供たち」が現れては統合されていった。

 


・父親の手術・入院のため田舎に預けられた、6歳の子の「おいてかないで」

・突然自宅でケイレン発作を起こした父親を前にした、10歳の子の「怖かった/うまく薬を飲ませてあげられなくてごめんなさい」

・前の晩に亡くなった父親の葬儀に参加するために、夏休みで賑わうデパートに喪服を買いに行く、12歳の子のなんとも言えない気持ち

 


そういった「未完了の感情」を吐き出すことで、すぐさま、あるいは少しずつ時間をかけて、「内なる子ども(たち)」は統合された。

今はその姿は見えない。

 

 

一番「手のかかる子」が自分のエッセンスなのかも知れない

 

今、最後まで残っている子は、”2歳の引きこもり児”である。

かつては、自分の世界から出ることをかたくなに拒み、大人の私がカウンセラーを講座内の実習で行っている時には、自分の傷が痛むのを怖れてクライアントさんの傷を回避し、モヤっとしたセッションの着地になってしまったこともあった。その時は「またジャマされた!」と手のかかる自分の子供にイラつくような感情を覚えたのだったが…。

 


「処理」という言葉に沿っていくと、ともすれば「まだやってる」「時間が掛かってる」「もたついている」という感覚になりやすい。

インナーチャイルドを発見したら、「手早くパッパッと」処理することが最良なのだろうか。

 


昨年秋、実母が亡くなった際に、この子が私の中の「芯の強さ」のエッセンスなのだと気付いた。

以来、時にはどうしているかと気に掛け、内なるその子の世界を共に感じてみる。

時間にしてみたら、せいぜい十数秒から1〜2分に過ぎないのだが、それでもう十分な感じがする。

実際の子育てでもそうだが、子どもが求めた時に親は応えてやればいい。時間の長さは関係ない。

 


じゃあそれを実践できたかと問われれば、「ママは今忙しいの!」で振り向きもせず、現実には娘たちの求めは一蹴していたようだ。すまん。

 

気になるのなら会いに行こう

 

実際の子供が成長するように、インナーチャイルドもその内面がまた変化していく。

今は当初の「ジャマな感じ」は全くない。

 


これはどれが正解か、という話ではない。見えない領域のことなので自分の感覚や感性に従って、しっくりするところを選べばいいと思っている。

 


そういうわけで

「インナーチャイルド〜内なる子ども」に会いに行ってみましょうか?

 

 

 

🍀お金の不安をゼロにするファイナンシャル・セラピスト、河野道子です。

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