前回「人生初の入院〜療養生活 その1:事の顛末」はこちらから↓
https://www.mi77.jp/entry/2023/08/26/155724
7月半ば、緊急搬送された都内の病院からは1日で退院できた。
ただ「CTで異常はないものの頭も打っているので、一人でいて夜中何かあったらマズいのでは」との長女の意見で、次女がいる私の実家で次の通院まで過ごすことにした。
確かに左腕の痛みが落ち着くと、頭も痛く触れると大きなコブができている。この痛みは結局1週間程度続いた。両足もいわゆる「青タン」が足首の上の辺りに結構な広さでできている。これまた触ると痛い…。幸い仕事が休みの次女が、ご飯を作ってくれたり、洗面台の前に椅子を持ってきてそこに腰掛けて頭を洗ってもらったりもした。これは大変助かった。翌日自宅に帰ってからは当然一人で洗うのだが、頭だけ前に出すとふらついてしまう。ここで万が一倒れでもしたら目も当てられない。
退院した当日は夕刻でもありバタバタしていたので、翌日Facebookに友人限定で「いろいろご心配・ご迷惑をおかけしました。今は自宅に帰って養生しております」と投稿した。
すると、「よかったー!」「心配したよー!」などの言葉の後に、泣き顔の絵文字を5〜6個並べる人が何人もいた。あれ?なんでみんなそんなに…?と軽い違和感を覚える。
そのわけは当時現場にいた人のコメントでわかった。
「倒れてた時は、血の気が無くて真っ白だったんだよ。血圧が低くて、救急隊に内臓損傷の疑いと言われて…」
そうか。
一時意識不明だったのは、昨日帰りの車中で他の人の投稿を見て知っていたが、転落直後に自分がそんな状態だったとは知らなかった。改めて腕の骨折だけで済んだことに安堵する。そしてこんなに皆さんに心配をかけてしまったことに、申し訳なさとありがたさが湧き上がってきた。
娘たちにも迷惑と心配をかけてしまったが、こんな時「何やってるの!」と怒りそうな長女が平然としている。恐る恐る聞いてみると「いや、呆れて物も言えないんで」と淡々とした返事が返ってきた。
さて、意識不明だったこともあり、この2日間に自分やその周りに起きたことを、他の人から聞いて初めて知る、ということがいくつかあった。偶然話にでたり、自分から聞いたりして知ったことだった。自分のことなのに自分が知らない、というのはなぜか落ち着かないものだ。
・土日でプロセスワークの連続講座に参加していたが、日曜日は救急搬送で入院となってしまい不参加。そこに参加していたFacebookの友人が、私の無断欠席を心配してかメッセンジャーアプリで電話をくれたらしい。次女が出てことの顛末を話し、それを講師も含めて講座参加者に伝えてくれたとのこと。参加者全員で私のために祈りの時間を設けてくれたという。
・転落後しばらくして「痛い、痛い」と言っていたという。救急車が来てくれたあたりだろうか?ただ自分では全く記憶にない。
・救急車で病院に向かっている時、幾度か「次に繋いでください」と救急隊の方に言っていたとのこと。付き添ってくれた方から聞いたのだが、当然こちらも記憶にない。
・たまたま手帳に挟んであった宅急便の控えから、次女に連絡がついたらしい。彼氏の車で千葉から来てくれたのだが、夜中に到着した二人に対して「なんで来た⁈」と怒ったらしい。事故の翌月に次女から聞いたのだが、これは酷いと思った…ただこれも記憶にない。「私はいいから、彼に謝ってよねー」と次女には言われたが、まあ当然である。
この他にもきっと自分の預かり知らぬ発言があるのだろう。
意識がない?のにはっきり喋っている…いやはや人間の身体の不思議さに驚くと同時に、一体何を口走ったものか、考えると冷や汗がジワリと吹き出てくる。
さて7月の3連休も明けた。
長女の車に乗せてもらい、地元の病院に向かう。
改めて肘のみのCTを撮っての結果は、左肘関節がTの字に折れており、金属板で固定する必要がある、さもなくば曲げ伸ばしができなくなるとのこと。金属板を入れる手術を受けるため入院することになり、1週間後と入院日が決まった。
お産以外の入院は初めての経験である(厳密には生後3ヶ月で百日咳で入院したのだが、当然記憶にない)
また全身麻酔での手術も初めて。
いやはやどうなることか。
80%のワクワク?と20%の不安で、入院までの1週間を過ごすことになった。
(その3に続く)