michynoteの日記

ファイナンシャル・セラピスト。 大手証券会社で約20年間営業を経験、 別の証券会社にて調査部経験もあり。 CFP®︎認定者。 傾聴とトランスパーソナル心理学のメソッドを用いて、あなたのモヤモヤをクリアにします。

人生初の入院〜療養生活 その1:事の顛末

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(写真はイメージです)

 

目覚めたら見知らぬ部屋だった。

 


あれ?と思ったら女の人が駆け寄ってきて

「わかりますかー」といくつか質問される。寝ぼけた頭で受け答えして、こちらからも尋ねたのだろう「今は午前3時です」と答えが返ってきたのだと思う。

なんだこれ・・・変な夢?

 

 

それが現実だとわかったのは夜が明けて、周りに人の動きが出てきてからだった。

身体が重い。首を動かすと犬や猫が怪我をしたときにつけるカラーがはめられていることに気づく。起きあがろうとすると左腕が異様に痛い。看護士さんから救急搬送されたこと、左腕は折れてる可能性があること、首に異常があるかもしれないのでまだ動いてはいけない、と告げられる。


ええっ、いったい何があったんだ?

昨日土曜日と今日日曜日、連続して対面の講座に参加の予定だった。一日目終了後懇親会に参加し、割と早めに終わったので、今回講座と重なったので参加を諦めていたコミュニティの飲み会に顔を出しに行ったのだった。30分くらい顔出ししておしゃべりしてきたらいいだろう、正式にイベント申込はしていないので、会場近くのコンビニでビールとつまみとウーロン茶などを買い持っていく。10人ほどのメンバーが歓談中だった。iPhoneで記念写真?を撮り、久しぶりーと数人と言葉を交わし、誰かが「これ美味いよー」と回してきた日本酒をまた分け合い、共通の知人の話をし・・・


で次の記憶がこの病室なのである。

どういうこと?わからないながらも頭をめぐらすと、とにかく今日予定されている講座二日目にはどうあがいても出席はできない。欠席の連絡をしなくては。

「すみません、荷物とってもらえますか?」手渡されたバックは私のものではなかった。が、見覚えはある。それは次女のものだった。どうやら次女が病院に来て着替えを置いて行ったらしい。

まず連絡を、と携帯を探したが無い。財布も無い。聞けばICUには貴重品は置かず、家族に持って行ってもらう決まりになっているとのこと。「すみません、至急連絡取りたい先があるので、電話を貸してもらえませんか」と看護士さんに頼む。わかりました、聞いてみますね。と言い置いて彼女は立ち去る。だが、いくら待っても戻ってこない。

 


何せここはICUである。緊急を要する患者しかいない。
そのうち「この患者は左肘と左手首の2箇所の骨折以外は異常なし」というCT検査の結果が伝えられたのだろう、徐々にこちらのベットを覗き込む看護士さんの頻度が減ってきた。連絡を取りたい先があるので電話を貸してほしい、という件も何回かお願いしたのだが、「聞いてみます」という返事ばかりで一向に進展しない。

 

カーテンで仕切られた右隣のベットからは、初老の男性と思しき声が…質問にはちゃんと答えているようだが、ろれつが回っていない。左隣は大きなカラス窓のある壁で首を動かせる範囲で覗いてみると、一人の患者に5〜6人のスタッフがついて何か処置をしている。

うーん、確かにここでは自分が一番放っておかれても仕方ないだろうなあ…

 


足元のカーテンを開けてもらったおかげで、壁掛け時計で時刻が確認できた。やがて講座2日目が始まる10時になり「ああ無断欠席になっちゃう。みんな心配してるだろうなあ」とまた焦り出す。とはいえ状況はいっこうに変わらない。こちらも左手は動かず右手は点滴が入っているので体の自由が効かず、うとうとするより他にない。

そのうち昼を回ったのだろうか、昼食が出て来た。「病院の食事は美味しくない」という思い込み(ビリーフ?)もあり、食欲もそんなにないしでほとんど食べられない。


まったくなぁ…


そのうちに整形外科のお医者さんが来た。

「骨折の他に異常はないのが確認できたので、退院できますよ。長女さんが迎えに来ますので」と言いながら、左肘の包帯を巻き直し保護の添え木を当ててくださった。後から感じたのだが、この処置が上手だったので安静にしていればそんなに痛みは感じないで済んだ。


「肘は構造が複雑なのでたぶん手術になると思います。その後のリハビリも必要なので地元の病院に一度行って見てもらってくださいね」とのこと。今日は連休の中日なので早くても病院に行くのは2日後になる。


次女が用意してくれた服に着替えた。大きめのTシャツの下に三角巾で吊るした左腕を入れる。


千葉から長女一家が車で到着したのは午後4時頃。子供はICUの中に入れないので、長女のご主人が私の荷物も持って迎えに来てくれた。


いやはや貴重な休日を…

本当にすみません。

 


病院からもらった数々の書類を見て、ようやくここが御茶ノ水にある東京医科歯科大学附属病院だと知った。

さっそく帰りの車中で、手元に戻って来たiPhoneで欠席してしまった講座の主催者にメッセージを入れる。

「すみません、昨晩ケガをして検査入院となりました。今ようやく退院しました。携帯を家族に預けていたので、ご連絡遅くなりました。

無断欠席となり申し訳ございません。…」メール送信時刻は16時16分。講座終了時刻は17時というのに….。

 


その後はずっとFacebookのタイムラインを遡る。と、昨晩コミュニティの飲み会に参加していた人の投稿が目に止まった。

 


「河野みっちゃんのご家族の連絡先がわかる方いませんか?

今、みっちゃんが階段から滑り落ちて意識がほとんど無く、救急車で搬送されるところです。


0:01追記

救急隊の方の声かけに少し反応できるぐらいには意識が戻りました。


0:10追記

娘さんに連絡とれたそうです!お騒がせしました!皆さんありがとうございます!」

 


え?階段から落ちて意識不明?

私が?


その後に続く他の人のコメントも読んでいくうちに「なんだかとんでもないことをしてしまった」という思いがどんどん強くなってきた….。

 


(その2に続く)

(注:上記投稿文転載についてはご本人より了解を得ております)

 

 

怒涛の3月を終えて新年度へ〜新しい命とまた向き合って

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桜の季節もはや終盤に入った南関東の2023年4月。

なかなか花の見頃と天気が合わなかったが、ようやく晴れ間に桜を撮る余裕ができた。

 


思えば昨年末から「3月に3番目産まれるから入院中上の子たちの面倒見てね。もうシフト組み込んでるから」と長女に言われて、まあ確かに夫婦だけじゃ回らないだろうし、自分も仕事が忙しい時は実母に来てもらって家事やってもらってたしなぁ…と思って引き受けたのだが….。

 


…年子の育児舐めてました。

ほんとに体力ないとついていけない。

 


おまけに3月に入ってすぐに長女一家が感染性胃腸炎にかかってしまい、けっこう修羅場でもあった。

 


まあ今は月半ばにこの世に産まれ出た赤ん坊ともどもみな元気に過ごしている。

30年ぶりに保育園の送り迎えをして、母親だった時のあの焦る感じが遠い記憶になっていることに気づく。(まあ朝はねぼすけさんが1名いるので多少は焦るが)


3年、2年、2週間。

人生を始めたばかりの人たちとの、にぎやかな日々はまだ当分続きそうだ。

ときおり彼らの視点に立って世の中を見てみるのもおもしろい。


「ちょっとそんな余裕あるならこっち手伝ってよっ!」とすかさず長女から飛んできそうだけれど(笑)

2023年はひとつひとつの体験を味わい"今ここ"を感じる年に

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新しい年もあっという間に1ヶ月が過ぎた。

以前も書いたが、自分の中では旧暦で動いているので、立春(2023年は2月4日)から新年が始まることにしている。「手帳もくもく会」と称して他の方と一緒にオンラインでウィッシュリストや年間プランを作成したり、週末は何故かほぼワークショップで埋まったり、家族の用事で一日中動いていたり、という日々だった。

 

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いろいろな所で気付かされたのだが、どうも自分は他人に意識を飛ばして(一般的には世話を焼くとかフォローするとか)、自分のことはつい後回しにするクセがある。おのずとエネルギーも他人に向ける方が多いし、出やすい。自分に対するエネルギーの通り道が錆びついて?いるんだろうか….。

 

そして気忙しいのは相変わらずだ。いつも先々のいろんなことを気にかけているので、中小のタスクはそれなりに処理できるが、大きなタスクがほぼ手付かずに残っている。

よく「あれ?あの日何してたんだっけ?」みたいなことがあるが、そういう意識の使い方をしていたらそうなるよね。

 

今年の目標は

ひとつひとつの体験を味わい"今ここ"を感じる

ことにしよう。

4年前は「感じる?なにそれおいしいの?」みたいなことを言っていた自分だったが、こころの学びで少しはマシになったらしい。

 

「スピード感を持って仕事する」ステージはもう充分やってきた。

これからは多少ペースは落ちるけれど、ゆっくり味わい尽くし、感じていくステージなんだろうな。

 

 

年越し雑感2022→2023

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2022年もあと30分。

やはり今年も紅白歌合戦を見ながら…

 

昨年の今日

「クリスマス前まで学びの宿泊研修に参加していたせいだろうか。受講生だった前回とは違って、今回はスタッフとしての参加だった。7ヶ月間を振り返るといろいろな思いが交錯する。」

と書いた。

「前回」が「前々回」に変わったこと以外はそっくり同じだ。

 

心の学びの中で、様々なプロセスを経て、一人ひとりが「本来の自分」の花を咲かせていく…それを間近で感じて微力ながらもサポートすることができたのは、なんとも貴重な経験だった。

 

それも今回でおしまい。

 

次のことは年が明けてからゆっくり考えよう。

 

 

残りひと月の雑感〜2022

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バタバタとしていたらあっという間に、今年もあと1ヶ月となった。

相変わらず抱えているタスクは大小様々なのだが、意外と焦る気持ちがない。

(いや、焦ろよ、という頭の中の声がするけれど)

 

なるようになる

そうか、あまり不安がないのだ

 

今、必要なことに自分のリソースを費やす

そうしている自分を俯瞰して観ているもう一人の自分がいる

 

もちろん至らない所やどうしようもない所もたくさんあるのだが

それも含めて全部自分だ、というのも受け入れている

単なる「開き直り」とは違う、静かで確かな感じ

 

これはなんだろう?

 

考えるのは年末まで駆け抜けたあと

美味い酒を嗜みつつ、過ぎた年と共に振り返ればいい

 

今はただ「その感覚」をただ感じている

準備が大事か先手を取るか

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7月最後の週末は、日本プロセスワークセンターのLSV(ライブ・スーパー・ビジョン)の講座を受けている。

要はプロセスワーク(トランスパーソナル心理学のひとつ)のメソッドを用いてセッションを行い、それをファカルティ(先生、でしょうか)からスーパーバイズつまり指導・評価を受けるというもの。土日で計10枠のセッションができるとのことで、自分は1日目は様子見で、2日目にレジュメを見直してセラピストをやればいいと思っていた。

 

ところが同期のみんなは「早くやった方がスッキリするから」と、初日の枠を選択する人が多い。

 

あれ?

前も似たようなことがあったな…

 

コロナウイルスがあれよあれよと言う間に猛威をふるい出して、全国的に初めての緊急事態宣言が出された2020年春。

とある認定試験が時期を3回に分けて行われたのだが、自分は一番最後の3番目の日程を選んだ。その方が準備に時間をかけられるからだった。

 

だがその最終日程だけが、緊急事態宣言に引っかかり2ヶ月の延期を余儀なくされた。他の日程の受験者はすでに試験を終えて結果待ちという中「仕方ないので、最終日程の受験者の方々は来年に」と言われやしないかと、ヒヤヒヤしたことを思い出す。

 

そんな話を同期として「まあどちらが良いとかは言えないよね」となったのだが…

 

その日の夜。

日付が変わった深夜に枕元の携帯電話が鳴る。なんと次女から「脱水症状らしく都内の病院に救急搬送されている」というのだ。驚いたけど自分で電話しているし「このあと病院から電話が入るかもしれないから」とのことで、安心と不安が半々の状態で通話を終えた。

 

…寝られないじゃない…

 

結局、病院で点滴等適切に処置していただき、3時半頃タクシーで帰宅したとメールが届いた。当然だがその日は会社は休むとのこと。

 

やれやれ一安心。

講座2日目も無事受講できる。

だがこれがもしそのまま入院となっていたらどうだったか。

当然2日目の講座はキャンセルとなり「ああ昨日のうちにスーパーバイズ受けておくんだった」と、悶々としながら病院に向かっていたに違いない。

 

結論。

準備するのはもちろん大切だけど、予定通りいくとは限らない。

明日は、いや次の瞬間何が起こるかわからないのである。

 

いつでもチャンスがあればそれに乗る。

やれる時にやっておく。

そうできるよう、日頃から自分を整えておく。

(まあケースバイケースかもしれないが)

 

たぶんこれからは、先延ばししてはいられない時代なんだろうなあ。

 

感情を感じ切る。そしてその下の静寂に身を置く。

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まもなく5月が終わる。
3年ぶりに「行動制限のない」大型連休からのスタートだったこともあって、人々の動きも活発だったように感じた。相変わらず心痛むニュースが報じられてはいるけれど。


そんな中自分はというと、諸事情あったにせよほとんど動いていなかった。

ただ内面では、連休中の「ジャーニーワーク〜感情の旅」のワークショップへの参加を皮切りに「自分の感情を感じ切る」ことを、さまざまな機会を得てやっていた。

つい先日も、遠い過去の小学生の自分が巧妙に喪失の感情を見なくて済むように、無意識のうちに「カラクリ」を作っていたことがわかって驚いたばかりだ。

 


感情に溺れるのではなく、感じ切る。
それができて初めて「静寂」を感じ取れる。

いずれ一区切りついたら、
もう少し丁寧に言葉にしていこうと思う。