michynoteの日記

ファイナンシャル・セラピスト。 大手証券会社で約20年間営業を経験、 別の証券会社にて調査部経験もあり。 CFP®︎認定者。 傾聴とトランスパーソナル心理学のメソッドを用いて、あなたのモヤモヤをクリアにします。

正しく恐れよ〜寺田寅彦80年目の提言

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2020年も3分の1が過ぎ、ゴールデンウィークも終わった。

 

年明けはオリンピック開催への期待に満ち、新型ウイルスの話は当初は中国の一地方のこと、インフルエンザの新型に過ぎない…そんな感覚だった。

それが世界的な脅威になるまで2ヶ月を要しなかった。

 

おそらくは感染者が乗っていたクルーズ船が横浜に寄港したあたりからだろう。「これはヤバそうだ」という感覚が出てきた。ここで真っ先に頭の中に浮かんだのが、物理学者寺田寅彦の「正しく恐れよ」という言葉だった。

 

ただこの言葉をネットで調べると、東日本大震災のときに福島第一原発が水蒸気爆発を起こして以後、「放射能について、知識がないからむやみに恐れる」といった文脈の中で用いられ、時として「正常性バイアス=自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価すること」を補完するために使われてきた、と知った。

寺田がもともと伝えたかった意図とは、大きくかけ離れてしまっている。彼の文章そのものを読まずに、この言葉は使えない。

 


今新型ウィルスという、誰もが前例をもたない事態にさらされている。が、世界中で次々と上がってくるデータや症例を、それこそ各分野の専門家が分析している真っ最中だ。徐々に知見が集まってくる。「未知」は「既知」に変わっていく。

やや遅ればせの間はあるが、しばらくは(それとも長期に渡ってか)「ウィズコロナ(コロナウイルスと共に)」の世界を生きる上で、寺田の言葉をそれこそ「正しく」理解しておきたいと思った。

 


実は著作を探してもこの言葉は載ってはいない。

『天災と国防』(講談社学術文庫 2011)に収められているエッセイ「小爆発二件(1935年。浅間山の水蒸気爆発を題材にしている)」中で、爆発直後の山から降りてきた学生が、地元駅駅員の聞き取り調査に対して、4人組の登山者が爆発しても平気で登っていったのとすれ違い「なになんでもないですよ、大丈夫ですよ」と答えているのを耳にして、寺田はこのように記している。

 


「ものを怖がらな過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」(『天災と国防』p 89)

 


この一文が「正しく恐れよ」ということのようだ。

具体的にはどうすれば良いのだろうか。自分なりに考えると3つのポイントが浮かんできた。

 

 

1.情報リテラシーを身につける

 

信頼できる情報源を見つけ、デマに惑わされない、それを拡散しないことだ。

マスコミの「事実の切り取り方」については、寺田の「静岡地震見学記(1935年。同年7月に起こった静岡地震を視察したが、報道ほど被害はひどくなかった)を読むと、今も昔も変わらないように思われる。


「新聞では例によって話が大きく伝えられたようである。新聞編輯(注:編集)者は事実の客観的真相を忠実に伝えるというよりも読者のために『感じを出す』ことの

方により多く熱心である。…(中略)…読者を欺すという悪意は少しもなくてしかも結果において読者を欺すのが新聞のテクニックなのである。」(p 69)


また『天災と国防』の解説で、工学博士の畑村洋太郎が次のように述べている。

国会において「福島第一原発が想定している津波の高さが、過去の貞観地震を踏まえると低すぎる」と専門家が忠告したにもかかわらず、無視された一件である。


「無視した人たちに特別な悪意があったとは思えないが、『見たくないものは見ない』『考えたくないものは考えない』から、忠告を聞いても心が強く動かされることはなく、結果として黙殺してしまったということなのだろう」(p202)


正しく情報と向き合うことが肝要なのだ。とはいえ、特に災害時はネガティブに受け止められる情報の方が圧倒的に多い。そうした情報を見て考えるだけで気分が落ち込み気持ちが塞ぐ、という人も多い。

 

 

⒉飲み込まれず一歩離れてみる


そこで次に重要になるのは、不安や焦りなどのネガティブな感情に丸ごと飲み込まれぬよう、それを外から俯瞰する視点を持つことだ。ネガティブ感情は感じていても「ああ、今自分は不安を感じているんだな」という気づきがあれば大丈夫だ。「どうしよう、どうしよう⁈」と不安や焦りの渦に完全に飲み込まれると、思考は停止し、視野は狭まる。そこに陥るのは避けたいところだ。

 

 

⒊誰か受け止めてくれる人に話してみる


とはいえ、不安になっていたり気持ちが落ちている自分の頭で、一人で対処するのも限界という場合もある。その時は誰かに話そう。ただ一つ気をつけるのは、ただ自分の不安やモヤモヤ、焦りや時に怒りまでも受け止めてくれる、受容してくれる相手を選ぶこと。意見やアドバイスは今はいらない。そういう人間が身近にいない場合は、カウンセラーやセラピストを相手に選んではどうだろうか。「相手を丸ごと受容して話を聴く」ことが身についた人たちだからだ。

「話すことは放つこと」とよく言われる。一人で抱え込まなくてもいい。

 


今回の新型コロナウィルス、そして日本各地で相次ぐ地震など、恐怖のタネを数え上げたらキリがない。寺田寅彦は「むつかしいこと」と評していたが、「正当にこわがる」=想定されるリスクを確認し、適切に対処して、目の前のことをやり切りながらその世界を生きていく。その過程を、あるいはそこで見つけたり感じたりした、様々なことを楽しむことができたらいいだろうな。


どうせ数え上げるなら、恐怖ではなくて、別のものを。