インナーチャイルドが閉ざす扉(後編)〜’18-’19LPLマスターコース回顧録(その5)

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(このセッションのアンカリングカード「参加」)


http://www.mi77.jp/entry/2019/05/14/232937
(前回の記事はこちら)


カウンセラーの
「こんな家に生まれてしまってごめんなさい」
「私生まれてきてよかったのかしら?」
「私この家に居ていいのかしら」
と言う声に反応して、無意識のうちに右肩が緊張した。その動きを大きくしてみて、と指示されて腕を動かすうちに、それは差し伸べられた手を振り払う動きになった。


出されたカウンセラーの手を音を出して叩く自分。思考ではなくて、感じたことを話して、と促され、
「私の世界の扉を超えて、誰かが手を突っ込んでくるのはなんかイヤだ」と2歳の子として伝えた。


今度は私の実母の代役を立て、2歳の私に声を掛けるよう指示される。その人の本来の陽のエネルギーを反転させ、冷たく感情を入れない言い方で話してもらう。


「道子、こっちに出てきなさい」
「こっちに来なさい」


言われた瞬間、身体が後ろに下がる。
何回も言われて口を突いて出たのは


「お母さんといたくない。私はここにいたいの」


別のセッションでは「(お母さん)置いていかないで」と言う言葉が出たのに、これはどういうことだろう。ただ母と一緒の空間にいると、2歳の私は緊張している。普通小さい子は母親のそばにいたいと思うのに、なぜか距離を取りたいと思っている幼い自分がいた。


カウンセラーは「これは実験だから」と前置きして、扉に見立てた場所から手を離し、「外の世界」へ出るよう提案した。しばらくは扉に見立てたホワイトボードから手を離すことが難しかった。


手を離した途端に、オートロックのように扉が閉まって戻れなくなる。あるいは扉そのものが消えて無くなってしまう。


そんな気がして、手を離せないと訴える。


何度も、実験だから大丈夫、と促され、カウンセラーに手を引かれて場の全体が見える位置に動く。


「この現実の世界を見て、どう思いますか?」カウンセラーが問う。


現実の世界は大変そう


思ったよりひどくはないけど、やっぱり居心地は悪い


私にはここでやることはない
責任を取ることはできない


そう答えると、今度は大人の(今の)自分の代役を立てて、その人がこう言葉を掛けた。


「そこにいるだけでいいんだよ」


それを受けた2歳の私の反応は… 


頭はその言葉をすんなり受け止めた。
ハートはザワザワと落ち着かなくなった。
肚(ハラ)は全く反応がない…無関係なのか、それとも強力に無かったこととして蓋をしているのか。


カウンセラーはビリーフリセットのワークに移った。ビリーフ=思い込みを外すためにさまざまな問いかけを行なう。
いろいろと吟味した結果、


「この世界とは安心しきってはいけないものだ」


とした。カウンセラーから
「じゃあこの考えがなかったとして、生身のみっちゃんはどういう人でしょう?」


はて?本当の自分ってこと?
この考えはあまりに自分と一体化していて外した状態を想像できない。
人生において、瞬間的に安心した時はあったかも知れないが…


「結婚もして子供もいて、テイのいいパートの仕事もして、何の不安もない生活をしている…こじんまりとしてる『成功』だけど、私の人生、『一丁上がり』だ」


30代の半ばにそう喜んだのも束の間、間も無く夫の身体にガンが見つかって、今生の別れとなるのに一年もなかった。


これがトドメを刺した形になり、私は自分の「安心しきった人生」を想像することはできなくなった。


100%安心してはいけない
また足元を掬われる
「常に最悪の事態に備えよ」


それらが通奏低音として常にに流れており、安心しきった人生がわからない。カウンセラーにそう伝えた。


ビリーフリセット・メソッドの定型の言い換えを行ない、「この世界は安心しきってもいいものだ」
に対しては、頭は「練習だから、仮の話だから」と言うが、肚と身体が思い切り「いやいやいや、そんなことはない」と否定した。


カウンセラーは
「いいんだよ、無理やりその考えを手放さなくても。最初ははっきりとわからなかったものが、こうしてあるんだ、とわかっただけでもよかったと思うよ。みっちゃんにとってはとっても強くその考えを持っているんだね」と言ってくれた。


こうして2時間45分の長丁場のセッションは終わった。


頭では、思考では、言語ではわからないモノを、2歳の子が体感覚、身体の記憶で全部引き受けたのだろうか。
まあ、できれば手放したい考えではあるのだが、その後何も起こらない保障はどこにあるのだろう。


ただこのセッションは、これで終わったわけではなかったのだ。


その6に続く。
続くったら続く。

 

 

 

 

 

 


 

インナーチャイルドが閉ざす扉(前編)〜’18-’19LPLマスターコース回顧録(その4)

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http://www.mi77.jp/entry/2019/05/12/153602
(前回のセッションの様子)


時間切れになったセッションの続きを2019年3月、春彼岸の中日に行なった。カウンセラーはLPL公認セラピスト認定試験を受験予定の受講生。試験日が近かったこともあり、受験者に何か参考になればと思って、当初のASV(アケミスーパーバイザー)参加者以外のLPL受講者にも、声を掛けてみてはどうかと提案した。
が、カウンセラー側からは当初のメンバーだけで良いとの話になった。ここでも思うことはあるのだが、それはまたの機会に。


当日の午後2時からセッションは始まった。モデレーターとして参加したのは5名ほど。前回同様、
「『人生に半分しかコミットしてない』と言われたが、まだよくわからない。1月からマスターコースで、いろいろな出来事が出て来たが、それをどう取り扱っていいのかわからない。それらが関係あるのかどうか、構造がわかって『コミットしてない問題』の理解につながればいい」ということを主訴として述べた。カウンセラーの顔を見て話すことを意識して。


さらに「怖いと言う自分」がいるらしい。思い当たる節として、2年前にヒプノセラピーを受けた時に出てきたインナーチャイルド(2歳くらい)が、何かあると「ヤダヤダ!」を連発して行動の妨げになったり、扉の陰から覗き込むようにしているが、目が合うと扉を閉め引っ込んだまま出てこない、というようなことが時々起こる。一方で「戦いのエネルギー」を持った自分もいるが上手く制御できない、これが統合できたらいいのに、とも話した。

 

http://www.mi77.jp/entry/2017/08/19/152827
(以前のヒプノセラピーの経緯はこちらに)


カウンセラーは「怖いと思う自分」はまだ「いるかも知れない」と言う程度の存在なので、先に「戦いのエネルギー」を持つ自分を見ては、と提案したが、私は前者〜失われた3分の1である2歳のインナーチャイルド〜の探求を申し出た。


カウンセラーは身体を使ったワークを提案した。まず私が、席を立ちその2歳の子がやっているように、物陰から覗き込むような仕草をする。


カウンセラー「なんでそうやって覗いているの?」
私(2歳の子)「何か良くないことが起こらないか心配だから」
カウンセラー「良くないことって?」
私「外に引っ張り出されること。今もそう」
これまでのセッションで、他にもインナーチャイルドがいると話し、その子たち(14歳・12歳〜2人は動と静のエネルギーで時に対峙する)の代役を立て、さらに今の大人の自分の代役を立て、配置した。


カウンセラーはそれぞれの代役に「今何が起こっていますか?」と問いかける。


14歳「通じない」
12歳「居心地が悪い。場違いな感じがする」
大人の自分「この2人の子は気にならないが、あの2歳の子が不憫だ」
カウンセラーは大人の私の代役に、2歳の子に声を掛けるよう指示する。
「こんな家庭でごめんなさい」
そんな…謝られても…
何回か声を掛けられたうちの、
「こんな家に生まれてしまってごめんなさい」と言う言葉が、少しだけ自分の中に入ってきたと伝えた。


今度はカウンセラーが声を掛ける。
マインドフルネスになるよう指示があり、私は目を閉じて呼吸に集中する。
準備ができたことをカウンセラーに手を上げて伝える。


声が掛かる


「こんな家に生まれてしまってごめんなさい」
「私生まれてきていいのかしら?」
「私ここに居ていいのかしら?」


…今、何を感じていますか?


カウンセラーが問いかける。

 

後半になるにつれて右肩が緊張する。何か防御するようにピクッと右肩が動いたように思う、と話した。

 

カウンセラーはその動きを大きくするよう指示する。言われた通り、右肩を上げると腕もついてくる。何回か繰り返すうちに、それは差し伸べられた手を振り払う動きになった。


(その5に続く)

 

 

 

 


 

断捨離した服はエコロモでリユースを

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先の10連休は家の片付け、って人もけっこういたのかも。ニトリに行ったら衣類の収納ケースが品薄だった。

で、要らなくなった服の処分だが、主流はメルカリだろう。ただオバさんはイマイチ億劫なので、地元のデパートでこんなチラシを見つけて、服を持って行ってみた。

実は昨年もこれを利用して、夏のワンピースとかを買っている。割引券がもらえ、それを使えば20%オフだが、使えるブランドが限られること(UNTITLED、TAKEO KIKUCHIなどワールドグループのもの)など、制限もある。お気に入りのブランドがあればいいかもしれない。今回は12着持っていった(もちろん車で)

柏タカシマヤでは5月14日(火)まで衣類の引き取りができる。年2回実施とのことなので、またコツコツ衣類の整理をして次を待とう。

スピンオフ/心の深堀の中で出て来たモノたち〜’18-’19LPLマスターコース回顧録(その3)

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2019年2月。
会社の最後の引き継ぎと次女の入院・手術でタイトな日々の連続だったが、その中で受けたLPLのASV(アケミスーパーバイザー)セッションは、クライアントととしていろいろな気付きを与えてくれた。ちなみに主訴は「『人生に半分しかコミットしていない』と言われたが、それはどういうことか。自分は何をどうしたらいいのか」ということだった。


最大のものは、
「身体にしかわからない心の傷が存在する。それには言語によるメソッドは通用しない」ということだったが、そのほかにも幾つか見逃せない副産物があった。いや、もしかしたらこちらが主流なのかも知れない。ただ構造としてどうなのかはわからないので、並列しておくしかないのだが。


♦︎「出力150%」の功罪
前回の記事にも書いたが、コミットできてる部分の出力を上げれば、できてない部分(半分と言われたが自分の感覚では3分の1)をカバーして行けると考えた。ない所を探すよりその方が手っ取り早いとばかり、探究はそれとして一旦横に置き、今の自分をフルパワーで出す、というのをASVの講座中に試みた。すると、ちょっと困ったことが起きてきた。
きっかけは他の受講生がクライアントになった時、セッションの中でその方の親族(男性)の代役を務めたときのことだった。そもそもその前にも別の人に対して強い口調で指摘をするなど、周りからは「いつものみっちゃんじゃないみたいだった」と言われるくらい、強いエネルギーが出ていたようなのだが…。
セッションの流れでいうと、思い切り相手を罵倒して、クライアントの感情を動かす必要があったので、これ幸いとばかり男性の口調で、大声で怒鳴りまくった。


するとどうだろう。その日の帰りから翌日にかけて、なぜか高揚感と爽快感に包まれた。怒りを解放しろということか?
ただ怒りは「二次感情」で、その下には悲しさや寂しさなど別の感情があるというが…。妙な爽快感の向こうには何も見つけられなかった。
ただ、周囲の人間は引くか気おされて具合が悪くなるかという感じなので、この状態を手放しで喜ぶわけにはいかない。もっと適正なパワーの出し方はないものか。いったんこの「無敵モード」に入ると、自分でも制御が難しくなる。


♦︎つながりたい至上主義
単なる偶然かも知れないが、今回参加したセッションの主訴がほとんど「(他者と)つながりたい」というものだった。
確かに他者との繋がりは大事だが、自分とはかなり温度差があるように感じた。自分は「来るもの拒まず、去る者追わず」なので、そこまで積極的には求めない。気の合う人と共に、旨い酒と肴で語らいができればそれで充分だと思うのだが、どうだろう?
まあ、自分のコミニュケーションの仕方についてはこれからの仕事との兼ね合いもあるので、見ていく必要はあるとは思っているけれど。


♦︎支配的な母
「人生に半分しかコミットしていない」と言われて、なぜそう思われるのか原因を特定していく中で、関係している可能性とあるものとして、子供の時の母との関係が浮上した。
「あなたは私のいう通りにすれば間違いはないのよ」「(母である)私があなたのことを一番よくわかっているんだから」

実際ほぼこの通りのセリフを母から聞いてきた。エニアグラムでいうとタイプ8。若い時はそれなりに整った顔立ちであまり表情を変えない「クールビューティ」。ただ叱る時も怒鳴るわけでもなく、溜息をつくか遠回しな皮肉を言うかなので子供としてはやりにくい。肝っ玉かあさん的に怒鳴ってくれればこちらもやり返すし、その後は互いにスッキリして大円団…となりそうなものを。成長するに連れて大きくなる違和感は、中学生の中頃、とある出来事をきっかけにして決定的なものとなった。
だから私は正反対の母親だった。子供と真正面からぶつかるし、言っても聞かない場合は手を上げたこともある。だからといって、子供との関係が悪化しているわけではないし、二人とも順調に4年制大学を出て、今のところ社会人として真っ当に生きている。

小さな子供にとっては母=世界ともなり得るというし。何らかの影響はありそうだ。


現段階ではこれらを並列に並べておくしかない。いつの日か、関連性の糸が現れ「こう言うことだったのか!」となるかもしれないが。

 

 

 

 

 

 


 

言語化できない傷〜’18-’19LPLマスターコース回顧録(その2)

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(当日のセッションで引いたOSHOカード「怠惰」)

 

「人生に半分しかコミットしていない」
そうあけみちゃん(LPL講座主催の岡部明美さん)に言われて、その言葉の意味するところをいろいろ考えてみた。


とはいえ「どうしてこんなこと言うんだろう?」という思いは消えない。強いて挙げれば、


自分を低く見せて、保険をかけている。相手に警戒されないことと、100%コミットして結果が出なかったら、みじめな思いをするだけなので、そういう状態に陥らないようにしている。


という感じもするが、完全に肚落ちしているわけではない。他にも何かあるような…。相変わらず悶々とした日々は続いていた。


そうこうしているうちに、マスターコースのASV(アケミ・スーパーバイザー)の日が迫ってきた。受講生のセッションに対して、あけみちゃんが直接アドバイスしてくれるもので、認定試験を間近に控えている人には、カウンセラーとしての模擬試験にもなり得る。LPLではただスキルを使いこなすだけではなく、自分自身の在り方も問われるので、なかなか大変とも言えるが…。


この際クライアントとして、このテーマをセッションで取り上げてみよう。一人で考えていてもラチがあかない。


と思い、一方で


確かに世界に100%コミットしているとはいえない。どこがどう、とははっきりしないが、何か停滞感・もどかしさ・モヤモヤしたものを感じる。半分とは言わないまでも、コミット率は3分の2くらいか。ならばその部分の出力を上げればいいのではないか?例えば今の1.5倍出力を上げれば、3分の2=約66%のコミット率でも、
0.66×1.5=0.99≒1.0
ほぼ100%になるではないか。
わからずにモヤモヤしてるくらいなら、いっそコミットできてる部分を最大出力に上げれば結果は同じだ。単純にそんなことも考えていた。

 

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そしてASV当日。
3日間通いの講座の最終日、午前中にセッションの機会はおとずれた。
クライアントは私、同じ受講生の仲間がカウンセラーとなり始まった。「世界に半分しかコミットしていない」と言われて、何をどうしたらいいのかわからない、ということを主訴にして話した。


一区切りついた時、あけみちゃんが介入(アドバイスを入れる)してこう言った。


みっちゃんわかる?あなたは20分間まったくセラピストの顔を見ずに話していたんだよ。


気がつかなかった。
もちろんカウンセラーとなった受講生仲間を信頼してない訳がない。むしろ尊敬しているくらいだ。
とはいえ、過去のエピソードを話す際、たまたまその場に居合わせたメンバーがモデレーターとして周囲にいたので〜向かい合って座るカウンセラーとクライアントを半円形にして他の受講生が取り囲む形になっていた〜、その人たちに話しかけたりもしていた。


いわゆる「今、ここ」には居ない状態だったとも言える。


あけみちゃんがカウンセラーにもいくつか指示を与えたのち、セッションが再開された。その人が得意としている、ビリーフリセットと呼ばれる手法を用いて問いかけがなされた。


ただ、普段ならその人は切れ味よく「ビリーフ=思い込み」を外していくのだが、その日は様子が違った。
クライアント(=私)の答えがはっきりしない上に、体の反応もそんなに出なかったのである。要は思考の問題ではないので、いくら言葉掛けをしてもらっても、何も反応できないのだ。


でも何かある


思考でなければ、それは身体にある…


傷だ


でも頭で痛みは感じない

 


セッションは時間切れとなり、続きは結局また日を改めて、ということになった。
自分の問題を解決するだけなら、認定セラピストに個別セッションをお願いするところだが、元々講座の中で公開でやっていたものだから、続きも講座内で公開でやりたいと申し出た。認定試験が近いこともあり、手上げで希望した受験予定の受講生にお願いすることにし、その翌月の春彼岸の中日に日程をセットした。

 


さてこのセッションの続きもさることながら、このASVでは他にも大きな気付きがあった。それも記録しておきたい。


その3に続く。

 

 

 

 

 

 


 

人生の半分しかコミットしていない件について〜’18-’19LPLマスターコース回顧録

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LPL(ラビング・プレゼンス・リーダシップ養成講座)では、本コースが11月に修了した後、希望者向けにマスターコースが月一回開かれる。通常の講座で取り上げきれないメソッドの深掘りや、年度末のカウンセラー認定試験対象者を中心に、主催の岡部明美さん(受講生は皆あけみちゃんと呼ぶ)直々に自分のカウセリングについてのアドバイスをもらえるASV(あけみスーパーバイザー)など、ほぼ月一回のペースで行われる。
当初、初受講生の自分にはレベルが高いから関係ないかと思っていたが、受講者に〇〇さんが来るのなら、と軽い気持ちで参加してみた。


そうしたら、想定以上に濃い学びの場だった。いや学びを超えた大小様々な気付きがあり、それは今回再受講生として向き合う姿勢を大きく変えた。
まったく個人的な備忘録ではあるが、ここに記録しておこうと思う。

 


第1回のジャーニーワークの回も深い学びと気付きがあったが、現在も続く大きな課題として浮上したテーマは、2019年1月下旬に実施された、第2回のファミリーコンステレーションの回であった。


ファミリーコンステレーションとは、一対一のカウンセリングでは見えにくい問題を、家族の座として代役を立てて、その構造(立ち位置や向き、各人の距離など)を見ることで、家族内に起こっていたことがクライアントの主訴にどう関わっているのかを明らかにする手法である。この回は2泊3日の宿泊形式で行われ、参加者がクライアントとして、自分の問題を明らかにすべく立ち、真剣で内容の濃いセッションが行われていた。

 

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(宿の食事は完全ヴィーガン料理。美味しい)


セッションを重ねる毎にある事に気付く。代役によく選ばれる人とそうでない人がいる。代役を選ぶのはクライアントだ。例えば自分の父親役なら、それにエネルギーの近い人を選ぶ。なので男性の役を女性がやることもあるという。大抵は雰囲気の似た人に、となるのだろうが。私はそれまで一度も選ばれていなかった。


最終のセッションに入る前に、車座になって参加者全員で質疑応答の時間となった。どうしても気になっていたので、終了間際に手を挙げて、あけみちゃんに聞いてみた。


「あのー、程度の低い質問で恐縮ですが、自分はここまで一度も代役に選ばれていないのですが、何かあるのでしょうか?」


言い終えた途端に、
「みっちゃん(私のLPL内の呼び名)!また自分をそうやってディスカウントしてる!」と強い口調であけみちゃんが言った。


しまった。前から注意されてたことではあったのに。私は自分を卑下して話す癖があると以前指摘されていたのだ。


「またそうやって、下から様子を伺うようにしてるでしょ!」


えっ?自分ではなんの自覚もないが…。
でも近くに座っていた人が、大きく頷いていたのでたぶんそうなんだろう…。


「なんで選ばれないかってね、それはみっちゃんが世界に半分しかコミットしてないからよ」


は?なにそれ訳がわからない。
もちろん全てのセッションに真剣に参加しているし、クライアントの話もお義理で聴いているわけではないのに…。

 

程なく時間となり、次のセッションが始まった。最後のセッションで、ようやくクライアント本人の代役として場に立った(別に先のやり取りを聞いて私に決めたのではない、前もって決めていたとご本人から話があった)。

 

ひとまず落ち着いたものの、あけみちゃんに言われたことの意味はわからずじまいのまま、重い荷物と共に抱えて宿を後にした。

 

(その2に続く)

 


 

魂の存在を感じて〜LPL12期第3講の学びから得たもの

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   いよいよまた半年間の心の学びが始まる。こうした心の学びを言語化するのには難しい側面もあるのだけれど、昨年の学びの中でなかなか言葉にできなかったものがある。それをここに記しておく。

 

それは2018年7月の第3講、第2チャクラの学びであった。

  その回は仕事の都合で、本来自分が登録しているのとは別のコースに参加した(カリキュラムは一緒)ので、参加者の半分以上は初対面、という状況だった。

   休憩時間直前、6〜7名のグループセッションでのクライアントと言い渡されていたのが、急遽、講座主催の岡部明美さんが受講生全員の前でやる公開セッション、通称「大まな板」のクライアントに切り替わったと明美さん自ら言い渡しに来られた。

    準備しながら「やっぱり来たか」という思いが…。30代で未亡人となった自分は、この第2チャクラ〜パートナーシップをつかさどるチャクラ〜におそらく様々な傷を抱えていて、まだそれが癒えてない、ということか。

 

約30名の受講生全員が見守る中、カウンセラーの明美さん(以降LPL式にあけみちゃんとする)と向かい合わせに座る。何人か見知った顔はあったが、受講生の席の方はなかなか顔を向けることができない。 主訴(相談のテーマ)として、その前の座学も踏まえてまとめたものを話す。

 

自らの死期が迫る中、ただ一度だけ亡夫が取り乱したのは、がんセンターの婦長に対してだった。なぜ妻である私ではなかったのか。そんなに信頼されていなかったのかと思うと情けないし、憤りすら覚える

 

というもの。多少感情は動いたが、例によってほぼ淡々と話す自分。

 

ひと通り聴いたのち、あけみちゃんはエンプティチェアという手法を使って、夫と私を対峙させた。向かいの空の椅子に夫が座っている(と想定する)。そこに向かって私は言いたかった思いを放つ。とはいえそれは激しいものにはならない。言われても私は何もできなかっただろう。がんセンターの婦長さんなら、プロとしてしっかりと受け止め、死期迫る患者の苦悩を和らげるすべも知っていることだろう。

 

つくづく自分は無力だ。

結局救えなかった。

 

次にその向かいの席に、夫として座り、今まで私が座っていた空の椅子に妻である私を見、カウンセラーのあけみちゃんの問いかけに答える。

「あなたの奥様はこうおっしゃっていますけど、それを聞いてどう思いますか?」

 

信頼してない?いやそれとは違う。

確かに婦長なら仕事として受け止めるだけだから…でもそれよりも…

 

妻の記憶に残る最後の自分の姿は、やはり病気になる前のクールな自分でいたかった。取り乱した自分の姿を妻の心に焼き付けて、悲しみをさらに妻に抱えさせてこの世を去るのは忍びない。

妻にはクールなままの自分の姿で覚えておいてもらいたい。

 

そんな思いが湧き上がり、言葉にした。

もちろん夫の真意は今となってはわからない。でもこれらの言葉がなぜか腑に落ちた。

 

今生を去った夫の、良い意味のプライドと、奥に秘められた優しさだったのだ。

 

周囲からすすり泣きが聞こえる。

でもそちらを向いて確かめる勇気はなかった。

 

あけみちゃんから、夫の代役を一人選んで夫の椅子に座ってもらうよう指示があった。全くの初対面だったが、もしそうなったらこの方に夫の役を、と思っていた方にお願いした。夫として座ってもらい、あけみちゃんから「あなたはこの妻を見てどう感じますか?」と声掛けがあった。その人の口をついて出た言葉が、

 

「愛おしい」

 

20年近く「もうどこにも夫は居ない。居ない。どこにも居ない」という思いでギチギチになっていた自分の内面を、その言葉がゆるめてくれ、スペースを空けてくれたように感じた。

 

「亡くなった人はあなたの心の中で生きている」とよく言われるが、単なる慰めだと思っていた。でも、心の中というよりは、魂としてそこにいるような感覚を覚えた。よりスピリチュアルになってしまうが仕方ない。感覚の話なので。

 

講義全体が終わってから、ロビーで荷物を整理している私に、何人もの人が「さっきのセッションは良かった」「心を動かされた」と声を掛けてくださった。初めて会う人もいた。それも私にとっては驚きの体験だった。

 

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それから2か月ほどして秋彼岸。夫の命日を迎えた。いつもなら様々な後悔や「もし生きていたら」という詮無い想いがしきりに湧いてきて、下手をしたらそれに飲み込まれてしまうのだが、その年はまったくそれがなく、穏やかな気持ちで過ごすことができた。もちろん、抱えてきた罪悪感や寂しさなどの感情が一掃されたわけではない。ただ魂が「ある」と感じることで、負の感情が悪影響を及ぼすことはほとんどなくなった。

 

もちろん深掘りすることで出てきた感情もある。今も思い返してこの文章を綴っているだけで、感情が結構動いているのがわかる。

 

さて。これから始まる13期での学びでは何が起こるのか。そして何を得て何を手放し、自分はどこへ向かうのか。

 

そのプロセスは全て正しい。