心の学びを始めてから約3年が経過した。
その間、よく「自分を愛して」「自分を大切に」と言われるが、具体的に思いつくのはマッサージに行くことくらいである。
会社員時代は、よく背中が鉄板のようになって接骨院に駆け込んでいたものだが、それから比べれば随分とマシな状態ではある。しかしまだ「自分を愛して/大切に」が面映ゆく、また「甘え」のようにも感じられてしまう。
そもそも肝心な「自分」についてもよくわからないことが多い。言語化できてないだけかもしれないが。
そんな時、友人との会話のなかで「わがままに生きる」というフレーズが出てきた。
わがまま。
そのまま受け取ると、特に日本ではネガティブなイメージが強い。
子供を育てる際にも「そんなわがまま言ってはいけません」と何度も繰り返される。
そんな自分勝手が世の中通用すると思うなよ、と。
だがちょっと表記を替えて、
”我がまま”としてみるとどうだろう。
我が、まま。
自分のまま、だ。
我がまま、に活きてみる。いきいきと、自分のままに。
その過程で「自分な何を心地よく感じ、何をしたいのか、どうありたいのか」が見えてくる。
それは自分を知り、理解することにつながる。
「理解すること、わかろうとすること」も愛の一つのあり方だ。
先の会話で、「身体が辛い」「気持ちもしんどい」と訴えつつも、最後には「でも自分が休むと(職場の)みんなに迷惑がかかる」に帰結する友人。
当初、私は「上司に勤務時間短縮や、期限付休職を提案してみてはどうか」と答えていたが、どうも本質はそこではないと気付いた。
「じゃあ、みんなが良ければ、自分は辛いままでもいいの?」
「…良くない。…でもわがまま、と思われる…」
「それって、”我がまま”(イントネーションも変えて)としたら、”自分のまま“ってことではないのかな」
発想の転換ののち、「周囲の人たち>自分」がこれまでの人生の公式だったと、友人は気がついたようだった。
”我がまま”は悪ではない。
そして”生きる”だけではなく、いきいきと”活きる”
とはいえ、いきなり言動を変えると周りがとまどい、時には反発を買うこともあるだろう。
なので些細なことでいいので、「感覚」「快・不快」「気持ち」で選択することを、まずは積み重ねてみよう。
「(この方が)得だから」「正しいから」といった、ある意味「合理的な」理由づけによる選択を、まずはいったんやめてみる、手放してみる。
そこで、「”うまくいかないパターン”が繰り返されている」のだとしたら、そこには根深いビリーフ(思い込み)がある可能性がある。
別れ際、友人は「私は”死ぬのが怖い”とずっと思っていたけれど、それは本当に死ぬことではなくて、”自分の人生が生きられないこと”が怖かったんだろうなあ」としみじみ語っていた。
もう彼女は”我がままに活きる”方向へと人生の舵を切っていくだろう。
さて振り返って自分はどうか。
3年前にこころの学びを始めたあたりから、徐々にそちらに舵を切り始めたように思う。非常にゆっくりとした動きではあるが。睡眠や食事の改善に取り組んでいるのも、その一つだろう。
「周りのために」はもう十分やってきたのではないだろうか。
これからは自分の人生を十全に、我がままに活きていく。
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